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ニート・ひきこもりはもちろん、適職が見つからない、人生の目的が見つからない等人生の問題に悩んでいる方へ

知識の汚れを落とし、納得のいく人生を手に入れよう

世界のインターネット利用者数は、いまや優に30億人を超えました。

江戸時代の町人の一生分の情報がわずか一日で得られる時代に私たちは生きています。しかも、この未曾有の情報化時代に情報の読み方も知らないまま、情報に巻き込まれているのです。

情報に心を受け渡している

メディアの情報をどのように読むのが正しい読み方なのか、一概に決められないこと言うまでもありません。しかし、少なくともあらゆる角度から批判的に情報に接する姿勢が必要だということは誰しも異論がないでしょう。

たとえば夕食時に見るテレビの娯楽番組は一日の疲れを癒してくれます。しかし、同時に同じテレビから流れるCMは、そのくつろいだ気分の油断を突いて私たちの心に容赦なく踏み込んできます。

そうして、いつのまにかCMの商品やサービスの顧客されている事実は、多忙な日常中でたぶん見逃されているのでしょう、ほとんどの人はそこまで考えていないでしょう。

デジタル・メディアの利便性が脳に危機をもたらす

それだけでありません。今日の情報化時代は、すべてのメディアがデジタル化できる時代です。0と1の数列からなるデジタル・メディアは、一台のスマホやタブレットなどで手軽に文字、画像、動画、音楽と私たちの生活の中に密接に入り込んでいます。

画像はもちろん、動画を開くと、あらゆる種類の映像が見られます。音楽にしても然り、検索エンジンにかければ、求めている情報をすぐ見つけることができます。

その身体接触的なアプローチの仕方はアナログ・メディアとは比べ物にならないくらい、私たちに多大な影響を及ぼし始めています。メディアは、手軽であるがゆえに私たちの脳を筒抜けにし、深く理解しなくとも知識を得たような思い込みを持ってしまいがちです。

デジタル・メディアの関係が対人関係の歪みを生じさせる

また、デジタル・メディアとの関係が深まれば、それに比例するように人と接し方にも変化が見られます。スマホに興じているのは電車の中だけではありません。

喫茶店などで同じテーブルを囲みながら、スマホの画面に見入っている若者たちを見かけることも少なくありません。当然、自宅にいるときは、インターネットサーフィンが日常化していることでしょう。

生身の人間とのふれあいが少なくなるに伴って、人間に対する見方も偏ってしまう場合もあるでしょう。人付き合いの経験の浅さはそのまま言語処理の未熟さに直結し、ちょっとした言葉のやり取りが心の傷を作り、人間不信に陥るケースも珍しくありません。

現代の情報リテラシー問題は、バーチャルとリアルの両面から考えていかなければならいところまで来ています。

この現代的な問題は実はソクラテスの問題でもあった

現代における、このような複雑な情報社会の状況は、意外と思われるかもしれませんが、いまをさかのぼること2400年ほど前に、ソクラテスが古代ギリシャのアテナイで若者たちに抱いた危惧と相通じるものがあります。

知ったつもりになって言葉を振りまわしているけれども、その実は言葉の格好の餌食になっているのです。つまり、行動に駆り立てる、あるいは物事を一面的に決めつける、そういった思考の営みが情報=言葉によってコントロールされているのも知らずに、言葉を自由に使っている思い込み、気ままに生きていることの危うさ、それが2400年の時を隔てても変わらぬ情報=言葉の怖さではないでしょうか?

ソクラテスは問答法という手法によって、若者たちの言葉を徹底的に吟味し、その言葉から余計な思い込みを一切取り除くことの心血を注ぎました。問いかけることを繰り返すことで、手あかにまみれた知識の汚れを若者たちの手によって自ら洗い流させたのです。

彼らに「無知」を気づかせ、真の思考へと導いていったのでした。

知識を得ることよりも徹底的に考える

手軽に得た知識は噂話です。噂話にいくら興じても、空虚感がつきまとうでしょう。それと同じではないでしょうか?

体験から得た知識が実践的な知恵にまで昇華する、対話のプロセスを省いたら、決して生きる力は生まれてきません。

考える訓練を重んじるのは、世の中にあふれかえっている情報をうのみにせず、情報に対する批判精神を養うためです。既存の知識の汚れを落とし、情報を主体的に活用する能力を身につけるためなのです。

愚放塾の新コミュニケーション教育

愚放塾では朝の「ハンドライティング」から始まって、必要とあれば、いつでもどこでも対話が始まります。

また、じっくり時間をかけて哲学的な本を読み、みんなが理解できるまでああだこうだと自由に話し合います。

愚放塾の教育は、演劇ワークショップを中心に心の状態や考えていることをシェアーし合い、対話をしながら人生の根本問題についてとことん考え、納得のいく人生を手に入れます。
 

参考記事:
「哲学書を読むとは?」
「自分を知るためにいろいろ試し考えること」
「微細な自己を発見する『ハンドライティング』」
「24時間フルタイム教育とは、詰め込みでもなければ、スパルタでもない」

ニート・ひきこもりはもちろん、適職が見つからない、人生の目的が見つからない等人生の問題に悩んでいる方へ

愚放塾の教育の目的は、体験によって自己本来の才能に気づくことです。

演劇ワークショップは、テーマを設けて、さまざまな体験を提供します。

虚構世界での体験ですが、未知の問題をみんなで取り組みます。

個々の体験をシェアーして話し合うことによって、感覚的事柄が言葉として思考の中に入ってきます。

体験から思考する訓練は、情報中心に回っている生活サイクルに批判の目を向け、人生の真髄と目的を極めることに大いに役立つのです。

生き方のヒント
index:
1.新コミュニケーション演劇教育
2.知識の汚れを落とし、納得のいく人生を手に入れよう
3.僕の人生のターニングポイントは「演劇と出会った幸運」でした
4.「演劇の力」は何か!
5.人生の問題は「演劇」で解決できる!

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