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おしつけがましさがなく、無理なく静かに明るく、平明で、風の通り抜ける感じがしました。
S.K 女性
 
0.参加のきっかけ
 
0-1.『鈴木先生』、武富氏
教育に関心があっても、教員になるとは思っていなかった時期に、武富氏の漫画『鈴木先生』を読みました。教員や生徒の心理が細かく描写され引き込まれるストーリーの中で、演劇指導の話は特に具体的でリアリティを感じました。後年、氏のホームページから演劇のメソッドは実在の人物に影響を受けたものと知りました。ぜひ自分でも演劇の指導を受けてみたいと思いました。演劇にとりたてて興味を持っていたわけではなく、メソッドをやってみたいという、やりたがりな性格からです。

0-2.虫めづる姫君
『鈴木先生』の武富氏を知ったきっかけは、たしか氏の別の作品「虫めづる姫君」にネットサーフィンで出会ったためと思います。赤木かん子氏〔『虫めづる姫君』をテーマに編んだ十代向けのアンソロジー〕を読み、漫然と検索をしたのだと思います。自分の信念にしたがってのびのび生きる姫君に惹かれます。

0-3.児童書と友人
児童書コーナーには前からよく行きました。わかりやすく読みやすく、それまでうとかった分野にも手を出しやすかったからです。友人がカニグズバーグを愛読していたと聞いて、児童文学も何冊か読みました。友人は悩みを抱える子どもたちのサポートをしていたことも知りました。彼女は「忘れたことはないけれど最近よく思い出している」人です。
 
1.参加して気づいたこと
 
1-1.「思い込み」
今思うに、4月からはじめた教員生活は、先入観というか、漠然としたイメージというか、こういうものかな、という思い込みにもとづいていました。教師らしくふるまうこと、理想の教師像を抱いていることは大切です。

ただ、結局どういうことなのか(本質)、どうしたくてするのか(意図)を見据えておかないと、こうしなければならない、ばかりになってしまい、積み重なった思い込みにより私の意識はだいぶ縛られていたようです。それが、「こういう感じでよかったのね」と安堵に変わりました。

1-2.とらわれないこと
塾では、不思議なシンクロを感じる場面がいくつかありました。
塾長の前夜の夢の教示、「やめてほしいと言わないで」が幕開けです。
愚放塾には、たくさん肯定があったと思います。自分とは違うやり方・意見を、そのまま受けとめたら楽ではないかな、違うからといって認めず拒絶しなければならない必要はないなと、ふと発見したことを覚えています。肯定は解放・リラックスをもたらします。それをベースにワークショップに入りました。

愚放塾では体験のあとに「シェア」することを行っていました。そのときどんな気持ちでいたのかを互いにたえずつかみます。たいがいは自分の想像の枠を超えています。個人の考えは実は狭く、自分のなかにあるものごとからしか発想できないということがはっきりします。
シェアするためには冷静に己を見つめる俯瞰の視点が必要です。人に伝えるため言葉にするので、考えがシェープされ頭が整理されます。シェアをすると、理解の正誤にかかわらず受けとめられ分かってもらえようとしているとの感覚が生じます。共感は僥倖であり。ミラクルであることが実感されます。心が通い合う余地を感じられたら十分だと思いました。

「完結させる、最後まで見届ける・見送る、やりとおしてみる」ということも話題に上りました。愚放塾では会話や議論が辞書に載っている意味のとおり健全に機能しています。誰かの話題をきいた誰かは、自分の箱の中から同じ核をもった話をひきだして語り、話は多様な重層的な広がりを見せていました。
 
名物「ライティング」は、出てきたものの分析が面白かったです。自分の姿は自己イメージと必ず違っていて思いがけないもの。そこが楽しいです。自分の底にあったものに接し、自分、意外にイケるんじゃないか、と思わされました。

1-3.参加の必然性に気づく
とりあえず面白そうだし、日程もちょうどいいので参加することにした今回の愚放塾でした。行ってみて分かったのは、今まさに自分に必要だったことを得たのだということです。なかったはずのニーズを自分は抱えていたのでした。
 
2.「場」
 
2-1.場が苦手
人と違うことをする趣味があり、場を盛り下げる言動をすることがあり、場に苦手意識を持っています。みんなで協力して何かをしようというより、自分の好きなことをやっていたら偶々みんなの役に立ったというふうにありたいのです。

2-2.場をつづかせる
場をつづかせるように、話が途切れないようにする“止まってはいけない”ミッションは印象的です。普段の会話では、相手が気を使って話を広げようとしてくれていることに気づくと、私は心を“たこつぼ”に潜り込ませます。

今回のワークショップでは、その判断をするひまもなく体育会のように球を返しつづけなくてはなりませんでした。話の内容に意味があるのではなく、つづけることに意味があるという発想の転換。目的は明確・具体的(切れないようにつづける)のため、迷いはありません。その結果、意識せずに私は場に参加しました。
全員で編んだ場は、温みがありました。

「場に奉仕する」という考えを教わりました。その場をつくっているひとりだと気づき、自分の分をにない、相手の分をまかせ、産み出されたものを引き受けると覚悟することです。会話や共有しているものをつなぎつづけようとして各自が不断に働いていくと、場は思いがけない流れを生みました。声のゲームでは、場が生まれ、整い、破調し、拾われ、繕われ、進み、揺れ、助け助けられ続くことを確認しました。自分がもう場に参加していると気づくことが、まず大事です。

2-3.まわりの音をきく
場をつづかせるために球を拾いつづけるために、前の人の声を聞く。音を感じる。聞いてはいると思っていました。聞いたことを自分という“るつぼ”に放り込んでぐるぐるかき混ぜているばかりで、出すものを出していなかったと気づきました。テンポよく、リズミカルに入れては出し・受けてはまわし・・・そういうことでいいのだと分かりました。
 
3.not深刻but真剣でいく
 
3-1.快適・健康・安心
愚放塾全体の印象は「健康的」です。おしつけがましさがなく、無理なく静かに明るく、平明で、風の通り抜ける感じがしました。
「気持ちいい」状態です。自分の内部を見つめ、考えをはぐくむところでした。 

あせったり慌てたりしていない状態の私をそこに見つけました。私自身は個性的な人間ですが、その自分のそのまま出せばいいのだという結論になりました。
変もまたよし、それが自然であるならば。生(き)のままの自分を放てばいい。自分を作らないと根本が楽です。そして生き生きしていきます。とりつくろったり、特に変わったことをすることはなく、自分の普通をして先生をすればいいのでした。

3-2.トータルで考える
塾では、夕食(用意と宴)・ライティング・ワークショップ・掃除・散歩、すべて一つのこと・同じことをやっている(つづいている)という気がしていました。
自分の内面を見つめるということ、自分の問題を知るということをです。

たとえば、ワークショップで知ったことを、散歩しながら考察し、夕食や掃除に実践してみるといったことです。おのおのが無意識?にテーマを選び取り、テーマがずっと繋がれ、連なっていくイメージでした。向き合っている問題こそが、成長に必要のテーマです。

塾から帰ってから何日かは、塾で得て自分で継続・発展・アレンジした思想を、暮らしのいろいろな場面に見出し、応用しているような感覚がありました。
塾長は、雑談に見せかけてすべてを演劇やワークショップの話題に結び付けていくとおっしゃっていました。塾で新しくなった自分は、新しい目で日常を見直し、ワークショップでの体験に還元して考えを深めていたのだと思います。

人間の目は書店の本棚から関心を持っている本を見つけられるし、手にした本は次の本とリンクしていく。塾で得た知見と、ほかの研修やOJTでの経験とがネットワークになっていきます。塾の仲間の一言が、ぜんぜん違う場所で腑におち理解できる瞬間があります。

自己変容のワークショップでしたが、塾のプログラム自体も参加者に応じ、どんどん自在に変容していました。各自のテーマ同士が響き合って、複眼的に問題を検証できました。

3-3.これから。新しい考え方とともに(まとめ)
塾はまさしく感動詞(?)「グッホー」で表されるところでした。場を学べたことが、大きかったです。学びの場の共有。公共の場を互いに慈しむ。育て、創り上げる。

「仕事だから自分を出してほしい」塾参加後に出会った本(皆川明『ミナを着て旅に出よう』)のことばです。これでいきます。「やり方はどうあれ、合っていればいい」以前仕事を教えてくれた人の方針(たぶん)を思い出しました。心強い考え方と思います。やる気が出ます。

悩みは消す・手放すだけが正解と決め付けないこと。抱えて見守るタネのような存在と思ったとき、変容が起こるのかもしれません。あれこれ考えを煮詰める癖=自分の好きでないところ。それがなぜかイヤでなくなる。イヤという考え方が無化された感。

遭遇した「場」に謙虚に素直に入っていく。参加者のかたちを見回し、場の風景によりフィットするよう外側を少しだけ変形する(自己表出の仕方の工夫)、微調整)。場はあるものではなく、放ち・受け取りつくっていくもの。

演劇や芝居を観たくなりました。美術館に行きたくなり音楽をもっと聴きたくなりました。素の自分を豊かに高潔にするものにたくさん触れたいと思いました。

学友と、誰かと、実際に生で会って話をしたくなりました。生で会ったら、すれ違い・気詰まり・おっくうさから解き放たれました。心地のよい場=基盤を、そこにいる人と協力して作ろうという気が湧きました。恐れず相手の反応を見ようとする・向き合う姿勢を得ました。授業はひとりで行うものではなく、教室という場で瞬間瞬間に生まれていくものだということを、よく覚えておきたいです。

上記のような「いいなあ、これ」というアイディアを思いつかせてもらった気がします。
 
これからめざすところについて
 
私が私のままでいて(つくらない)、それで(教師を)やる、ことが納得できる私になる。

大学の教職の授業で「教育社会学」がありました。好きな授業でしたが、なぜ必修なのかと思っていました。教職についてみて、意味が分かりました。教員としての哲学を自分で考える・組み立てるために使う授業でした。

教員として立つことで自立をめざします。先生にしてもらっているのだなぁ、が教職経験ほぼ1年の実感です。その場で起きたことに顔を上げて向かい合い、動くことをつづけたら、実現できると思います。

ありがとうございました ♪
 
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