休学、不登校生へ、自分を甘やかしてはならないが、自分を甘えさせることは許す
2016/7/1 塾長ブログ
 
「甘やかす」と「甘えさせる」
 
この2つの言葉は似ているが、むしろ、正反対といってもいいかもしれない。育児本などでよく目にするこの2つの言葉、その違いは、ある育児サイトでは、以下のように説明されている。

「甘やかす」は、親が安心のためにする。子どもにつらい目をさせなたくないという、親の気持ちを甘やかすことである。一方の「甘えさせる」は、子どもを安心させるためにする。つらい目にあった子どもの気持ちを受けとめ、包みこんでそれを癒し、安心感を与え勇気づけてやることである。

 
愚放塾の教育における、「甘やかす」と「甘えさせる」
 
愚放塾の教育は対自教育である。塾生自身が「自分を甘やかしているのか、甘えさせているのか」を自ら判断して自己教育を行う。

愚放塾教育において、自分を甘やかすとは、できることをしないこと。対して、自分を甘えさせるとは、できないことをしないことである。
 
自分を甘やかしてはならない
 
仏教に「外相整って内相おのずから熟す」という言葉がある。外相というのは外面のことで、内相というのは内面のこと。仏前で手を合わせ深々とお辞儀をすると、おのずから敬虔な信仰心が湧いてくるという意味だ。

つらいことがあって心が錯綜しへとへとになっているときでも、自分が食べたご飯の茶碗を洗うことぐらいはできる。自分の衣類を洗濯機にかけて干すことぐらいはできる。そのようにできることを積み重ねていくうちに、乱れていた心も徐々に整ってくる。それが自分を甘やかさないことの功徳である。
 
自分を甘えさせる
 
だが、できないことを無理やりすることは自分を損なうことになりかねない。だから、頑張らないことを自ら許すこと、すなわち、自分を甘えさせることは、自分を大切にすることなのである。

学校では頑張るとほめられる。しかし、愚放塾では頑張らないとほめられる。むやみに頑張ると、自分の中に潜んでいる「熱中魂」が姿を現してくれないからである。愚放塾教育とは、熱中できることを、じっくり時間をかけて探す教育である。熱中できるものこそ、天賦の才能であり、それこそ、頑張らなくても長続きする。
 
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