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不登校生は、大人の言葉を通して教育に失望している
2016/11/25 塾長ブログ
 
思わず言葉が詰まった!
 
先日、不登校の塾生と話をしていたときのことである。僕が「将来の目標は何?」と尋ねたら、彼女は「大人はすぐそういうけど、それは年寄りの旧い考え方だよ!」と語気を強めた。僕はそのあと言葉が出なかった。手垢のついたお決まりの言葉をただ言ったにすぎないことの虚を突かれた思いがしたからである。

たしかに現代は先行きが不透明で変化が激しい。彼女らは人生の早い時期からそんな時代の雰囲気を感じ取ったのだろう。もちろん、そうである。それゆえに、その鋭敏な感受性が自分自身を苦しめることになった。冒頭のエピソードはそうした解釈を可能にする。しかし、そんなことが問題なのではない。彼女らの心を覗いてみれば、おそらく全く違った風景を目の当たりにするのではないだろうか。
 
教育の名を借りた欺瞞?
 
不登校生の問題が子供の感受性と切り離して考えられないのは、むろんのこと当然である。しかしながら、その感受性の向くところは、時代とか社会とか、そんな大きな世界ではない。彼ら彼女らを取り巻く身の周りである。はっきり言えば、身の周りにいる大人たちである。僕を含めて身の周りのたち大人が作り出している、小さな世界なのである。

大人はどうしても子供を「教育」したがる。自分自身を棚に上げて、ついもっともらしいことを言ってしまう。たとえば、職場のいじめを見てみないふりをしている大人が子供にいじめをいけないと諭す。電車での迷惑行為ひとつ注意できない大人が、子供には主体的な行動を要求する。そのようなことはないだろうか。
 
不登校生は大人の「ウソ」を見透かしていた?
 
冒頭の少女の言葉も、そんな大人の無責任を非難しているように思えてならない。目的に向かってまい進している大人がどれほどいるだろうか。たいていは目的を立てたところで誘惑に負けて挫折し、あるいは欲望に負けて先延ばしにしているか、その二つのどちらかだ。

教育の名の下で語られる、大人たちの「ウソ」を感受性の強い子供ほど見透かしているような気がしてならない。その子供たちの目には、書き割りのペンキ画の前で仮面をつけた大人たちがむなしい演技をしているように映っているにちがいない。不登校生たちは、大人たちの偽りの言葉を通して、学校に、そして社会に失望しいるのではないだろうか。
 
 
休学、不登校問題を考える(2)
 
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