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大学休学生が3週間コースを終えて大学へ戻ることができた
2017/6/26 塾長ブログ
 
思わず何かに残したいという衝動に駆られた!
 
3週間コースの卒業公演。塾生の初舞台、躍動感あふれる、その変容ぶりを見せられて、僕も感慨一入だった。リハーサル、ゲネプロ、本番と最後に行くにしたがって、どんどんパワーアップして、本番では、とりわけ、モノローグは声と動きが一体となって、ひとつエネルギー体のような印象を持った。まさに殻を破った瞬間、素晴らしい演技となった。

思わず何かに残したいという衝動に駆られた。しかし、演劇は風の芸術とも言われる。舞台が終われば跡形もなく消えてしまう。その場に居合わせなければ、たとえビデオに撮ったとしても、その演技を感じることできない。まして、演じている当人はみずからの感覚と観客の反応や言葉でしか、自分の演技を知ることができない。そうであるからこそ、その演技は記憶の中で育っていくのだ。
 
素晴らしい演技の背景には愚放塾の生活がある
 
その生活は、地道な努力の積み重ね。小さな挑戦のひとつひとつを丁寧に乗り越えていった結果といえる。塾生は、当初愚放塾の生活に少なからず戸惑う。「厳しい」と実感する。「ここは居場所ではなかったのか、もっと楽なところではなかったのか」と、入塾前の予想と違うことに戸惑うのである。

無論のこと、スパルタ式でもなく、強制もない。プライベートの時間はたっぷりあり、何をしても自由である。日常の至極当たり前のことをおろそかにせず、丁寧する、それだけである。たとえ10分であっても一生懸命にするだけであるが、彼ら彼女らにとっては思いのほか厳しく感じるのだ。
 
気づきの教育が才能を伸ばす
 
愚放塾の教育は気づきの教育である。自分で気づき自分を育てていかない限り、何も得られない。もちろん、見守りながらどうしても気づないところは噛んで含め、時には苦言を呈することもある。

当たり前にできること、誰でもできることを先送りにしないですぐにすること、その積み重ねが、今まで気づかなかったことに気づく目を養っていく。気遣い、気配り、気働き、そういった「気づき」ができてこそ、自分らしさに気づき、コミュニケーションのなんたるかも理解できるのではないか。

教育は情がなくてはできないが、情に流されてもいけない。当たり前にできることを誰も真似ができないほど徹底してはじめて、そこから才能が芽生えてくるのだ。才能は甘やかされた環境からは生まれない。
 
「つなぎなおし」によって大学に復学した
 
とはいえ、3週間で人間変わるはずもない。しかし、塾生はいままでにない濃密な時間を経験したのではないか。3週間、稽古はもちろん、対話もたっぷり。はじめての環境で、様々な経験をした。肝要なのは、愚放塾で経験した「つなぎなおし」を卒業後も大事に育てることである。

たしかに大学へ戻る不安もあるかと思う。これから先も困難が待ち受けているかもしれない。しかし、卒業公演を終えて、晴れやかな彼女の表情からはそんな不安は感じられない。むしろ、いままで自分の中に埋もれていた種が発芽し、ぐんぐん伸びようとしていることが見て取れる。卒業の日の対話からは、生まれたばかりの自分(生き方)をしっかり育てよう、そんな強い意志が感じられた。
 
→参考記事:「3週間コースを受講して大学に戻った休学生のその後」
「大学不登校生や大学休学生に対するコミュニケーション教育とは?」
「「いじめ」受けた、ある大学休学生へ」
        
 
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