ホーム >塾長ブログ >小豆島愚放塾 >生き方に迷っているあなたへ >人生に躓き悩む若者こそ愚放塾の天才教育にふさわしい

 

人生に躓き悩む若者こそ、愚放塾の天才教育にふさわしい
2017/7/29 塾長ブログ
 
天才と呼ばれる人にとって、天才は決して褒め言葉ではない
 
天才とは、天賦の才能。天賦は生まれ具わったという意味。才は知恵の働き、能は物事を成しうる力である。しかし、天才というと、世間では天性のきわめて優れた才という意味で使われ、能の意味が欠如している。資質に加えて物事成し得る力を発揮してこそ、天才は生まれるのである。

大相撲の大鵬をご存じだろうか。昭和の大横綱である。歴代の優勝回数32回を誇る。つい最近トップの座を平成の大横綱白鳳に譲ったが、その記録は30年近く破られることはなかった。「巨人、大鵬、卵焼き」は昭和30年代の流行語である。子供の好きなものとして並び称された。僕らの子供頃は学校の砂場で相撲を取って遊んだ。誰もが大鵬を名乗りたがった。

その大横綱大鵬が天才について次のような言葉を発している。

「天才という言葉をマスコミは簡単に使うけれど、言われた方はむなしくなることがあるんだよ」。

スポーツ新聞の記事では、その言葉を次のように解説している。

記事にする方は天才大鵬と書いたもんだが、こっちは『冗談じゃない』という思いだった。まるで才能だけで勝っているみたいじゃないか。わしは才能で横綱になったんじゃない。みんなが知らないところで、何倍も努力をして、辛い思いを乗り越えてきた。その苦しさを知らずに、天才の2文字で片付けられることへのむなしさがあった。

同じようなことを、イチロー選手が子供たちの前で言っているのを聞いたことがあった。

僕は野球の天才なんかではない。小さいころから毎日、自分の限界まで練習してきた、いや、そのほんのちょっと先まで頑張ってきた。いまの僕があるのは、その積み重ねの結果にすぎないんだ。自分の限界は自分しか分からないよね。自分の限界をちょっとだけ乗り越える、それを毎日繰り返す。そのことが大切なんだよ。何事においてもそうだと思う。

最近では、14歳で将棋の連勝記録を塗り替えた藤井聡太四段を、マスコミがこぞって天才と呼び称賛する。ここでも天才少年の地道な努力は聞こえてこない。便利な2文字を使ってセンセーショナルに書き立てるだけである。
 
愚放塾の天才教育を説明しよう
 
愚放塾のサイトを開くと、「天才を天才にする」というフレーズが目に飛び込んでくる。愚放塾では、天才を冒頭に挙げた字義通りの意味として捉えている。誰もが生まれながらに与えられた才を努力によて花開かせた人、それが天才である。世界で一つしかないかけがえのない資質を花開かせるのが、愚放塾の才能教育である。

その教育のポイントだけを述べよう。まず自分の目標を明確にする。しかし、ただ目標を持つだけでは駄目である。つまり、このままではダメだと血相を変え、生き方を見直し、その切羽詰まった状況の中で目標を立てることが肝要である。そうしてはじめて目標が生きた意味を帯びてくるのである。

だからこそ、人生に躓き追い詰められた者ほど愚放塾の才能教育にふさわしい。というのは、いまの自分をなんとかしたいと追い込まれた者たちは、必定、自分と向き合わざるを得なくなるからである。血眼になって本来の自分を探し出し、その最終地点を目標とするとき、目標を持つことの効果が最大限にあらわれるのだ。

もちろん、本来の自分を探すにしても、目標に到達するまでの努力にしても、未知の荒野を切り開いていくような困難があろう。しかし、その困難が自分を変えてくれる。その困難に立ち向かって、何度も転んではその都度起き上がって挑戦する。子供が自転車を習う時と同じ。転んでも転んでも繰り返し挑戦するのである。

とはいえ、がむしゃらに頑張る必要はない。イチロー選手の言葉通り、自分の限界点をちょっと越える努力を毎日続けるだけでいい。そうして努力しているうちに自分が変わる。目標を達成するにふさわしい能力が身についてくる。自己変容=目標達成となるのである。

参考記事:「ほとんどの人は目標を投げ出すが、投げ出さない人の特徴とは?」
   
参考記事:「休学、不登校等人生の休眠期にある若者に贈る、漫画「鈴木先生」の作家武富健治氏との対話」
 
ホーム >塾長ブログ >小豆島愚放塾 >生き方に迷っているあなたへ >人生に躓き悩む若者こそ愚放塾の天才教育にふさわしい