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自己プレゼン演技術その1
2015/3/20 塾長ブログより
 
公衆の面前で起こる身体反応の解明
 
引っ込み思案で恥ずかしがり屋な人が大勢の前に引っぱり出されると、足が震え心臓が高鳴って気が遠のいていくような恐怖に襲われる。多数の視線に射すくまれて石化したように身動きできなくなくなってしまう。

僕がそうだったように、公衆の面前は、もっとも忌み嫌う場所である。

ところで、大勢の人から見られるのが、なぜ怖いのだろう。

冒頭で書いた「足が震え心臓が高鳴って気が遠のいていく」のは、高所恐怖症の人が、深い谷間に掛かっている頼りない吊り橋を渡っているときと同じような身体反応である。吊り橋の上でのこの反応は身の危険を知らせる合図である。命に関わる危険に瀕しているときの身体症状である。しかし、大勢の前には危険はない。すくなくとも命にかかわる切迫した危機ではない。

それでは、この身体反応は何の危険の合図なのだろうか。

大抵はもうお気づきだと思われる。ご多分に漏れず、自己イメージが危険にさらされている合図であろう。こうありたいと思っている仮想の自分がみんなの前で脆くも瓦解してしまうのを恐れて、吊り橋の上にいるときと同じ身体反応があらわれるのだ。
 
公衆の面前は、無限に広がる針のむしろである
 
僕もそうだった。

仲のいい友達と遊んでいるときは、見せたくない自分は都合よく隠して、思い通りに自己イメージに合った自分としてふるまうことができた。しかし、大勢の視線にさらされると、イメージ通りの自分を演じようとしても、隠している自分を隠しきれない、そのような圧迫を感じて、その恥ずかしい自分が顔を出したらどうしようと、不安と恐怖でいっぱいになる。ついと身動きできなくなる。つり橋の上なら、四つんばいになってでも、どんな無様な姿であろうが、命が助かればいい。ともかく、渡りきれば傷は残らない。

けれども、公衆の面前はそういうわけにはいかない。一度立ってしまえば、無様な格好で逃げ出すわけにいかなくなる。見せたくない自分を上手に隠し通して、イメージ通りの自分を演じなければ、あとあと厄介な治りにくい傷を負ってしまうことになる。

人前という場所はそうやすやすとは問屋が卸してくれないのだ。まさに無限に広がる針のむしろである。うまくやろうとすればするほどますます体は言うことを聞いてくれない。なんとしてもこれだけは避けたいと思っていたことが現実に起こってしまう場所なのである。事もあろうか、一番恥ずかしい失態を演じて、みんなからどっと笑われる。図らずもそんな羽目に陥ってしまうのだ。

下手すると、歩き方すら忘れて爆笑の渦の中、二度と立ち直れないほどの心の傷を負う。自己イメージは一瞬にして崩れ去り、その後の人間関係にも大きな影を落とす。その悲惨さはご想像に任せよう。
 
解決策は、名付けて「自己プレゼン演技術」
 
解決策がないわけではない。心の持ち方でも、スキルでもない。うまい方法がある。僕が実際経験したことだから間違いない。

それは舞台という場所に立つこと。そこで恥ずかしい自分を演じてみることである。もちろん、教育的なサポートは必要だ。

僕が経験から編み出した自己開花教育法である。名づけて「自己プレゼン演技術」・・・「おまえやけにえらそうだな!」と自らツッコミを入れたくなるほどの口ぶり。我ながら困ったものだ。せっかくだから、ついでにもう少しもったいをつけて、その方法と理論についてはあした書くことにしよう・・・いささか低級な冗談で笑いも取れない。

実はいま電話が入って、急きょ中断しなければならなくなった。野暮用が入った。それではまた明日。

「自己プレゼン演技術その2」
 

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