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24時間フルタイム教育とは、詰め込みでもなければ、スパルタでもない
2015/3/10 塾長ブログより
 
同じ釜の飯を食べることの意味は、理屈では分からない
 

ひとの値打ちを判断できない人ほど、人間をタイプで、もしくは、いま流行りの見方で決めつけるのではないだろうか。

僕はそのたびに違和感を覚えるのだが、当人はいたって善良な気持ちで発言しているので、異議を唱えることに躊躇してしまう。おそらく忙しいのだろう。じっくり見たり、考えたりする時間がないのかもしれない。

しかしながら、たとえじっくり見たり、考えたりする時間があったとしても、人間はそうやすやす本当の姿を見せるものではないだろう。

聴き役に徹することも人間理解には欠かせない。場合によっては調査も必要かもしれない。しかし、立ち止まって傍から眺めているかぎり、人間の本当はわからない。僕はそう思うのだが、いかがだろうか。

一緒に行動して分かることがある。自ら心を開いて相手と向き合ってはじめて分かることがある。相手とぶつかってようやく分かり合えることがある。身を曝す危険を避けては、相手の本当の姿は見えてこないだろう。安全なところから観察しても、その人固有のものと決して出会うことはないだろう。

愚放塾では、塾長である僕と塾生が家族のように一緒に暮らしている。理屈ではない。生活を共にするからこそ、隠すにも隠しようもなく、思わず滲み出てしまうものがあるだろう。生活の中から人間の真実は、ゆっくりと時間をかけてその姿を現してくる、そうではないだろうか。

僕は24年の教員生活に足りないものを感じていた。30年あまり携わっている演劇に教育の可能性を感じていた。その思いに使命感が背中を押した。学校と生活が一体となった場ではじめて教師としての仕事を全うできるのではないか、そう考えて、僕は愚放塾を開いたのである。

別段、観察することもない。ことさら話を聞く時間を設けるわけでもない。知らず知らずに見えてくるものがある。いつとはなしに話している。朝一番の声の調子で伝わってくるものがある。表情を掠める翳で心の裡を読むことさえできる。

そのひとつひとつが何よりの教材であり、そのなかから、個々の才能を花開かせる方法論が紡ぎだされてくる。
 
愚放塾の1日は、こんな風にして過ぎていく
 
朝を起きて「おはよう」の挨拶からはじまり、僕が自慢のコーヒーを淹れる。

それから「ハンドライティング」。3分で考える間もなく書き上げた内容を、コーヒーをすすりながらシェアし合う時間。取り留めのない話題を共有しながら互いに自分の心を見つめる。

ひとしきり話し合った後、掃除。塾生は率先して掃除をする。学校で仕方なくする清掃と違って、自ら進んでする掃除は気持ちがいい。。範囲は狭くても丁寧にすることで、心が落ち着く。できることを一生懸命することが集中力の基盤をつくるのだ。

午前10時ごろから演劇のワーク。演劇というとしり込みする人も多いかもしれないが、決して難しいことはしない。「頑張らない、楽しない、ごまかさない」が愚放塾のモットーである。

たとえば、寝転んで音楽を聴いて心や体の動きの研ぎ澄まして感じるだけ、そんなところから始める。おのずと心が開いていくプロセスを丹念に辿る。それぞれが体験をシェアし、互いの体験を尊重する。認め支え合いながら、それぞれが感じるままに「あるがままの自分」を表現し合うことを繰り返す。

そうしていくうちに、各自の内発的動機が演技として表現され、誰もが無理なく演技することが好きになる。それだけではない。演技することによって、想像力、集中力が養われ、自己の可能性が開かれていく。もっとも、長年の教師と演劇経験から生み出された演劇メソッド100を多様に組み合わせ、手を変え品を変え、ゲーム感覚で楽しみにながら、演劇ワークは行われるのである。。
 
哲学の時間もある
 
昼食をとって、午後の4時までは自由時間。何をしてもかまわない。浜辺や山を散策してもいいし、釣りをしてもいい、昼寝をしてもいい。良いも悪いもない、ねばならないもない、あらゆる自分を肯定する意味で、感情や気分の赴くままに好き勝手に過ごす時間だ。いずれこの時間が、10,000時間熱中できる何かを見つける時間となり、見つけた「好き」を実践し熱中する時間となることだろう。

この時間帯に、週に2、3日は、哲学書を読む。塾生に合った内容の哲学書を選び、難解な文章を一文一文丹念に読み解きながら、頭がしびれるほど考える。いつのまにか考えることが楽しくなっている。そうして、いつのまにか思考の忍耐力も身についていく。

3時~4時に農園へ。もちろん、行きたくなければいかなくていい。その日の気分次第ですべてが決まる。しかし、自然を満喫しながらの農作業は、体と心が生き生きしてくる。土の包容力と緑の癒しの力。農作業は教育の一環。「いきもの」たちの言葉でないコトバに触れて、その豊かなコトバを学ぶ経験でもある。

18時30分、夕食の時間。一日の感情の記録をシェアし合う。たとえば塾生の心に不安が宿れば時間を問わずに聴き、納得するまで話し合う。何から何まで一緒。

夜の9時過ぎには「おやすみ」といって、各自の部屋に戻る。就寝時間は決めてない。起床時間もあえて決めてないが、朝、日が昇ると、自然に目が覚める。
 
「好き」を大切にして、自由に無理なく、天賦の才能は開く
 
塾生の定員は2人である。一人一人が個室を持ち、プライベートは守られ、自由に気ままに「頑張らない、楽しない、ごまかさない」をモットーに生活する。

いま愚放塾では、塾生2人(男女を問わない)が塾長とその妻、若い女性スタッフと一緒に生活している。アットホームな雰囲気のなか、一人ひとりの塾生をみんなでサポートする。もちろん相談や対話は十分時間を取ってするが、一緒に生活しながらその仕草や表情一つですべてが分かるほどになっている。

愚放塾は塾生が本来持っている才能を開花させるところである。復学とか就職でもって、その教育は終わらない。その人間が本来持っている可能性を最大限に開くまで続けられる。それが愚放塾の才能教育である。
 
*人生は、若いときに何と出会うかが大切。ある出会いによって自己変容した体験談です:→「『失敗体験』から『積極的な逃げ』そして『居場所』」

*塾生の成長記録:
「塾生の成長を目のあたりにして…」
「『自分を使い切る』とは、どういうことか?」

*哲学書を読むことについて:
「哲学書を読むとは?」
 
*ハンドライティングの方法について:
「心の対話に『ハンドライティング』」
「微細な自己を発見する『ハンドライティング』」
 
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