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大学休学、不登校の諸君、大きく逃げろ、小さく逃げるな!
2015/3/15 塾長ブログより
 
逃げろ、逃げろ、大きく逃げろ。小さく逃げるな!
 
僕が、もし自分を活かせないでくすぶっている若者に出会ったら、ためらうことなく「現状から逃げろ!」と言うだろう。

しかし、この言葉、誤解を招きやすいのも事実。

人間は環境によってどのようにも変わる。これが愚放塾の教育観である、その教育観の最初に「逃げること」を置いたのは、たんに嫌なことから逃げろと言っているのではない。

本来の自分のよさを押し殺したまま生きているのなら、その現状から「大きく逃げろ!」と言っているのである。
 
大きく逃げたものだけが進化を遂げる
 
元同僚の地学教師から「生物の歴史で強いものが生き残った例はない、大きく逃げた生物だけが進化を遂げた」と聞いた。酒の席の話なので、そのままに受け取ることはできないが、大方は間違っていないだろう。

人間の場合、「大きく逃げる」こと、それは必ずしも移動を必要とするわけではない。要は、現状から未知の領野へ赴くか否かにかかっている。

仕事であれ、人間関係であれ、生きづらくいまにも窒息しそうなら、思い切って「大きく逃げろ!」と言っているのである。いままで行ったことのないような未知の世界へ逃げ出すのだ。

未知の世界は物理的な環境とはかぎらない。心的環境であってもいい。未知の習慣へ逃げることも可能だし、いままでしたことのない仕事に挑戦したり、新たな人間関係を築くことも、大きく逃げる意味では同じである。未知との遭遇は居ながらにして可能である。
 
「逃げろ!」というと、みんな小さく逃げる
 
苦手から逃げ、嫌いから逃げ、面倒くさいから逃げる・・・

自分を開いて未知の領野に自分を晒すことが必要なのに、自分から逃げて自分の殻に閉じこもる。

そうではない。家の中へ家出しても話にならないように、若者よ、荒野を目指せ。

しかし、それだけなら、話は単純すぎる。荒野を目指しても野垂れ死にしたのでは身も蓋もない。

そこで問われるのが、未知の領野で本来の自分と、そしてその才能とつながることができるかどうかというだ。新たな環境の中で自分の可能性を開くことが出来うるか、それが問題になってくる。
 
本来の豊かな自分を発現させるために、未知の環境が必要なのだ
 
新たな環境が自己に働きかけて心身のふるまい方を変え、本来の自己を生き生きさせなければならない。そして、日の当たらないところに隠れていた本来の才能を開かせるのでなければ、「大きく逃げろ」といったところで虚しいだけだろう。

本来の自己に目覚め、その才能の開くことを、愚放塾では自己開花と呼ぶ。

自己開花するためには、新しい環境に正しい方法がセットで組まれていなければならない。そうでなければ、教育とは言えない。素朴な進化論をそのまま適用できるはずもない。

愚放塾では、小豆島という自然に恵まれた環境のもと、演劇と農業という方法論で、才能を開く教育を行う。少人数、共同生活、24時間フルタイム教育を行いながら、じっくり個々の才能を熟成させる。
 
参考記事:
→愚放塾の「逃げ切る教育」「正しく逃げなきゃ、鳥になれない!」
→大きく逃げた体験談「失敗体験から積極的な逃げ、そして居場所」
→未知の領域とは?「環境を変えてみよう」
 
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