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「失敗体験」から「積極的な逃げ」そして「居場所」
2015/2/5塾長ブログより
 
「失敗体験」の悲惨な日々!
 

僕の青年期は、「失敗体験」に暗く染め上げられて鬱々とした日々を送っていた。

小学校のときにクラス担任から受けた恥ずかしい出来事の記憶が、僕の行く手を邪魔する。自我が芽生え、自意識の育つ頃には、重荷となって表舞台に出られなくなっていた。

人前恐怖症だった。

大勢の前に立されると「人事不省に陥った」…誇張はあるが、恥ずかしさのあまり体がグニャグニャ動きだし止まらない。手足は自分のものではないように震えに震えて、まともに言葉も出ない。視線と笑いの渦に、傷口から自分が切り屑のように落ちていく。無神経な声に公開処刑の見せしめを受けているかのような屈辱…

そのたびに、その恥ずかしい経験が新たな記憶として刻印され、そればかりか、子供のときから経験したありとあらゆる失敗を呼び込んで、心の中でどんどん大きくなる。雪だるまのような塊が出来上がっていた。青年期になると、その塊がすべての可能性の穴をふさいで、僕を窒息させていた。

僕はいつもおどおどしてまったく自信のない若者だった。
 
教師になったまではよかったが…
 
勤め出すと、初々しい気持ちもどこかにすっ飛んで、たちまち後悔が始まった。

「取り返しのつかない大きな間違いを犯してしまった」

(教師になったのには、やむえない事情があったが、ここでは割愛する。そのあたりの消息は塾長ブログ「僕が教師になったやむにやまれぬ事情」に載せた。)

当時、田舎の小さい中学校の教師になった僕は1か月も経たないうちに自分の限界を思い知った。

20人余りの生徒の前でさえ、緊張してしどろもどろ、生徒からは失笑が漏れる。

それだけならまだいい。

少し元気のいいクラスになると、「おちょくり」が入って馬鹿にされ笑われる。

45分の授業をこなして職員室に戻ると精根尽き果てた。

疲労困憊、教師は、もう無理だ!

が、教師を辞めたところで「お前に何ができる!」と内なる声が、おのれの体たらくなさまに罵声を浴びせる。

僕は生きていく展望を失って、教職からずり落ちる手前でブザマな恰好のまましがみつていた。
 
「失敗体験」のおかげで固く閉ざした扉が開いた!
 
人生とは不思議なもの、僕はそれから20年以上も教師をすることになった。

失敗を重ねてなす術もなく追い詰められた時に人生の全体が開けてきたからであった。

そういうと、いささかきれいごとに傾きすぎるだろうか?

いや、無一文になった状況において「生きること」と正面切って向き合うことができる。虚飾をすべて剥ぎ取られ、自分という存在の底まで落ち切ったそのとき、はじめて「いのち」の鼓動に触れる、当時の自身を振り返って、そんな感じだった。

数々の「失敗体験」に打ちのめされて、自己の無力さを思い知らされ、それでもなお、一度きりの人生を生きていかねばらない、そう思わずにいられないところで、はじめて、自己の人生を丸ごと引き受けることができた。

僕の目には悲惨すぎるほどの将来が映っていた。このままいったところで不如意な人生しか歩めない、しかし、その事実を丸ごとを受け入れたとき、いままで眠っていた何か強い力が湧き上がってきたのだ。

失敗に失敗を重ねて、その「失敗体験」の極みから、ゆるがせにできない自らの「人生」が立ち上がってくるのだと思う。

打ちひしがれた青年教師が、「なりふりかまわず何とかしなければ、俺は人生を生き抜くことなどできない」とつぶやく。この弱々しい声に「おのれの人生をかけて」といった並々ならぬ決断が込められていた。
 
「失敗体験」から「積極的な逃げ」へ!
 

熊に追いかけられ逃げまどっていた者が、断崖の下に広がる「真っ暗な人生」という大海原を目にして、一転、向きを変え熊の方へ向かっていくような決断であった。

僕は教師を辞めずに無謀にも「熊」を目指し逃げたのである。逃げ回っていたに過ぎないそれまでの僕なら、決して考えられないような行動だった。

逃げは逃げて一番苦手なことに立ち向かっていくという無謀な逃げ方を選んだのである。

それまでの僕なら考え付かないような発想が降ってきた。

「そうだ、演劇をすれば、人から見られることに慣れるかもしれない!」

見られることが苦痛で苦痛でどうしようもなかった僕が、どうして舞台に立つことなど思いついたのだろう?

しかし、不思議でもなんでもない。

その決断を呼び起こしたのはほかでもない「失敗体験」なのだから。

僕を窮地にまで追い込んだ「失敗体験」が、僕の中に眠っている挑戦力を呼び起こしたのだ。

僕は未知の世界へ向かって旅立つ決意をした。

僕は地元の老舗劇団の門を叩いた。そして僕はその劇団の研究生となった。
 
話はそれで終わらない
 
なにより幸運だったのは、研究生を指導する担当者が、とにかく僕らの話を聞いてくれる人で、その話から僕らの個性を引き出し、いつのまにか俳優に仕立ててしまうマジシャンのような人だったこと。

(そのあたりのことも「塾長インタビュー:演劇で思い出に残っていることは何ですか?(Q15)」に載っているので、興味のある方はご覧あれ)

はしなくも、研究生の僕らにとって、劇団の稽古場は、互いに各自の不確定さを支え合って「自分を見つめ、自分を開花させる」居場所となったのである。

愚放塾は、そのときの僕の経験から、劇団の稽古場の雰囲気をモデルに作られた「自分を見つめ、自分を開花させる」居場所である。
 
参考記事:
「使命は、向こうからやってくる」
「僕が教師になったやむにやまれぬ事情」
「『逃げる』ことを悪いとする価値から逃げろ!」
「正しく逃げなきゃ、鳥になれない!」
「大学休学、不登校の諸君、大きく逃げろ、小さく逃げるな!」
「生き方に迷っているあなたへ」
 
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