演技の力
2014/11/12 塾長ブログより
 
 
繊細で博学な青年Hくん
 
H君とは、ワークショップ当日、土庄港で、もちろん、はじめて会った。その印象は、電話で話した感じと大差はなく、繊細な青年という感じ。

車の中ではもっぱら映画の話。小豆島にまつわる「二十四の瞳」がきっかけ。僕は、女先生が高嶺秀子、男先生が笠智衆のの「二十四の瞳」をすでに六回は観ている。そして、そのたびに泣いている。僕にとっては泣きたい時に見る「泣ける映画」。彼が好きなのもそれ。木下恵介監督高嶺秀子主演の「二十四の瞳」。リメイク版もあるが、それではない。リメイク版も87年の作品なので、21歳のH君からすれば、どちらも生まれる前の映画なのだが・・・。

そんなこんなで映画、しかも、旧いフランス映画などの話で盛り上がった。ルイ・マルやゴダールのヌーベルバーグから、あちらこちらに飛んで、僕は画像は脳裏にあるが題名が思い出せないものをたくさんあったりして、その映画通に驚いた。

彼には、その後も驚かされ続けた。その知識の豊かなこと!しかも、現代哲学の素養がある。彼の年代では珍しい。ラカン、ドゥルーズ、レヴィナス等々、哲学の豊富な知識に裏付けられた言葉がポンポン飛び出してくる。医学部を目指す浪人生、日ごろ何を勉強しているのか?
 
彼を縛っていたのはほかでもない、その言葉そのものだった!
 
感想の中で彼はこんなことを書いている。

これまで頭で考えるばかりで、自縄自縛、何をするにも自信が持てず、躓いたまま動けなくなるというのが僕の毎日でした。・・・・・朝のライティングも、来る前まで文章も一字も書けず、心配していたのですが、最終日には心にゆとりができたおかげで、なんとか読めるものが出来上がっていて自分でも吃驚しました。言葉に引きずられて動けなくなっていた僕には言葉があとからやってくるという経験は衝撃でした。

初日のワークショップ、視線のゲームをした。彼は人と視線を合わせるのが苦痛だという。1分間見つめ合うこのゲームで、彼は苦肉の策として相手をモノとして見ることでなんとか1分間を耐えたという。

普段、浪人生の彼、人と交わらない生活をしているので、街中に出ても人の視線が気になり、頬被りをするように人を避けて歩く、そんなことも言った。

そして、言葉の呪縛。ぽんぽん難しい言葉出てくるが、空虚感に苛まれている。彼は生の体験を避け、ひたすら言葉の世界へ逃げ込む。と同時に、その言葉にまとわりつかれ、身動きが出来なくなっていた。
 
体が躍動し、声が響き渡った!
 
2日目の庭園での野外ワーク。僕は一連の象徴的なドラマを作った。

いじめられ、多数から言葉の暴力を一身に受ける。心の傷、孤独、悲嘆。
そのあと、いっぺんする世界。
救い、勇気、沸き立つ力。
みんなに支えられて、火になる。
そして、洞窟から飛び出し、池に向かって叫ぶ。
みんなに囲まれ、歓喜の感謝。

H君の体が躍動し、大きな声が庭園に響く。
高揚感で顔が上気している。

何かが変わった、たしかに、見た!
ひとつ、衣を脱いだ彼がいた。
 
ワークショップのクライマックス、何が起こったのか?
 
3日目のワークではいよいよ本題に入る。各自が自己の課題に取りくむ。自分の課題を劇仕立てにする。参加者に協力してもらって、配役を振る。舞台化するのだ。

舞台化するとは、もはや逃げられない状況まで自己の課題を極限化すること。自分が真っ二つに引き裂かれるようなシチュエーションの中に自身をを投げ込み、そのなかで葛藤し、決断する。劇は即興で演じられ、そのなかで自己の身の振り方を決断するのだ。

その様子を彼は観想の中で次のように書いている。

頭でごちゃごちゃ考えたものを、無難に演出し、演じようとしていた僕に、「このままではいつまでも胸にわだかまりが残ってしまう」と感じた木戸さんが演出を加えてくれたことで起爆薬に火が点き、無意識に自分を守ろうとしていた言葉の衣服は脱げ落ち、裸の感情が剥き出しになってボロボロと涙を流しながら叫んでいて、それでいて身体は演じている歓びに貫かれているという異常な高揚感のなかに自分がいて、自分の中にまだこんなにエネルギーが残っていたのか、、、と驚き、次の行動へと踏み切る勇気が持てました。

 
劇的状況を説明しよう
 

彼の課題は家族問題。とりわけ、父……父の想いを受けて、本音を封印。封印していることすら、よく分からない。自分の本当の気持ちが何なのか…?

彼は進路に悩んでいた。父の気持ちも分かる、しかし、しかし、なかなか気乗りしない。違うと思いながら、父の言いなりになっている。でも、反抗する気持ちもなくなって、惰性で浪人生活を送っている。勉強が手がつかない。わかっている、わかっている、でも、なにが分かっているのか、よくわからない・・・・

まさしく言葉の渦巻きに飲み込まれて身動きが取れなくなっていた。

彼の構成した劇は、配役の演技にも助けられて非常にリアリティーのある劇に仕上がった。見ていて面白かった。しかし、どうも腑に落ちない、すっきりしない。一言で言えば、決断がないのだ。彼の人生を賭けた決断がない。たしかに父のことを思い、家族のことを考え、自分のことを考えて、考え考えた挙句、考えあぐねた判断しか見えてこない。そう、彼は家族のことを考えているつもりで、無意識のうちに自分を守ろうとしていたのだ。

 
ひとつ演出を加えた!
 

彼を椅子に座らせ、配役にロープを持たせ、彼の周りをまわり、セリフ言いながら、彼を縛り上げる。縛り方が緩い、もっともっとぎゅうぎゅう縛れ、僕の声が飛ぶ。
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続いて、彼にはそのがんじがらめにされた体を感じながら、声を上げろ、叫べ!と。しかし、まだ、まだ、出てこない。彼の中に潜んでいる力が解き放たれない!

弱い、弱い!もっと感じろ!

まだ、まだ!

笑え、笑え!

僕の声が次々に飛ぶ。

笑え、笑え、もっと、もっと、そう、そう、笑う、もっと、笑い切れ、もう一つ、そう、笑いを吐き出せ!!!

彼は僕の声に応えるように、どんどん笑った、どんどん笑いが大きくなった。

曲をかける。アルビノーニのアダージョ。

その曲に負けるな、笑え、そして、思いのたけを叫べ!

やっと、彼の中にあるものが出てきた。

叫び声が響く。
 
彼の目からいつの間にか涙が流れている
 

起爆薬に火が点き、無意識に自分を守ろうとしていた言葉の衣服は脱げ落ち、裸の感情が剥き出しになってボロボロと涙を流しながら叫んでいて、それでいて身体は演じている歓びに貫かれているという異常な高揚感のなかに自分がいて、自分の中にまだこんなにエネルギーが残っていたのか、、、

そう、彼は言葉地平から体験の地平へ、そして、いままで固く閉ざしていた身体がぽっかり開いたのだ。それと同時に、彼の中から抑圧されていた言葉がドロドロとマグマのように溢れだした。歓喜の感情を伴って、とめどなく吐き出されていった。

誰もが納得するような判断をして自分を殺していた彼。しかし、この時は違った。みんなが幸せになるような答えなどどうでもいい。そんな選択を拒む彼がむくむくと雄たけびを上げた!

解決などしなくてもいい!

自分自身に自分の思いをぶつけている彼がいる、生身の彼が現われた!

決断とは選択ではない。解決するかしないかを頭で考えることではない。決断するということは、未来を含めた全人生を賭けて、自分の生き方に責任を持つこと、自分をごまかさないで、答えが見出させないなかに身を投じること。

それを若い彼は身をもって体験したのだ。
 
参考記事:
→H君のワークショップ体験記「裸の感情がむき出しになった!」
→僕の演劇初体験「塾長インタビュー:演劇で思い出に残っていることは何ですか?(Q15)」
→無理なく自己変容「愚放塾の演劇教育」
 
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