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やりたいことをやり尽くす、そこから、使命への道が開けてくる!
2015/2/18 塾長ブログより
 
まずは、やりつくすこと!
 

「それはよい事だから、やりなさい」は小学校のときの先生の言葉。公的教育らしい指導。道徳教育として異論はない。しかしながら、愚放塾は私的教育機関。よい悪いはひとまず置いておいておこう。

「まずはやりたいことをやりなさい」と指導する。もちろん法律にかかる事はダメだが、そうでないかぎり、何をやってもオーケー。

僕の考えでは、人間の成長に欠かせないのは、可能なかぎり、やりたいことをやりつくすこと。できることでもいい。まずは、それを一生懸命にやりつくす。そこから、使命への道が開けてくるのではないか!

やりたいことをやりつくした結果、見えてくるものがある。いや、やりつくす、その過程ですでに見えているものが必ずあるにちがいない。たまたまであっても、「はまった」やりたいことが見つかったら、それを最後までやり通すことで、はっきり見えてくるはず!

とはいえ、一言でやりたいことといっても、なかなか分からない、見つからない。大体は、あれでもない、これでもないといって投げ出しまうのがオチだろう。

ずっとひきこもっていたり、うつ気味で気分が落ち込んでいる若者たちに、いきなり「やりたいことは何?」と聞いたたところで、何も浮かんでこないのが当然。そこいら辺の若者に聞いたって、すぐに答えが返ってくるものではない。

 
必要なのは、頭ではなく、行動!
 
何でもいいから、いろんなことに手を付ける、やってみること、面白くなければ、また別のことをやってみること、こだわることはない。その経験の積み重ねが大切なのだから・・・そうしているうちに、あの子供の頃の夢中で何かをしていた感じが甦ってくる。無邪気きで晴れ晴れとして楽しかった面影が心に宿るだろう。

子供は、見るもの聞くもの、興味が湧けばすぐに手を出し、できようができまいが、お構いなし、つまらなくなれば投げ出し、面白ければいつまでもやっている。そんな気ままさが自然で、それが楽しいのだ。

大人になると、頭の片隅からチェックが入る。あれもダメ、これもダメ、こんなことして何の意味があるんだ、頭でっかちの自分がうるさく責め立てる。

ところがどうだろう、そんな声を無視して、意味のないことでも、時間など気にしないで、やっていくうちに、たとえ本当にやりたいことでなくても、それなりに楽しくなる。あれもこれもやっているうちに、無意味だと思っていたことが楽しくなって、いつの間にか童心に帰っている。

なるほど時間的に余裕がなければ、こんなのんきなことをしていられない。ほとんどの人は、学校や仕事の課題に追われて日々を過ごすので精一杯だろう。とはいえ、身体を動かすだけで気持ちいいものだ。休日に体を動かすだけでもいいから、ともあれ、時間の許す限り未知のことをしてみることだ。

たとえば、草むしり。都会に人はありまり経験がないだろう。やってみると思いのほか、草を取る単純作業そのものが気持ちいい。それに加えて、次第に草がなくなって、地肌が広がっていくのは充実感がある。頭でっかちな自分から、体でっかちを取り戻すこが、第一である。

 
難しく考えないで、エクスプレスしてアウトプットするだけ
 
子供は手を使って遊びながら、その感触を楽しむように、物に触れ、そして、いじって投げ捨て、また拾って、折ったりこすったり、組み立てては壊し、そうした過程でいろんなことを学び、いろんなものを作り、できたものを親や周りの人に見せて、「いいね」ボタンを押させる。

出来上がったものすべてが自分だ。そう思えば愛着も湧く、それだけでいい。だが、出来上がったそれが「表現?」と言われると考え込んでしまうのも人情。プライドも邪魔して軽はずみに頷けなくなったりもする。

しかし、日本語で表現は「内にあるものを表に現す」ことだが、英語ではエクスプレス(express)、「内にあるものを外へ押し出す」という意味。断然分かりやすい。「アウトプット」となると、もっとシンプル、内にあるものをそのまま外に置けばいい。

愚放塾には、いつでもどこでもエクスプレスする時間が流れている。演劇ワークショップで自分を表出すること、自然の中で農作物を育てること、哲学書を読んで自分の言葉で説明する、言葉に出来ない気持ちを文章にしてみる、すべて自分の中にあるものを外に出す行為である。

実際、内にあるものは、外に出してみないと分からないものである。頭で考えて分かっているつもりでも、文章にしてみてはじめて「自分はこんなことを考えていたんだ!」と驚くことも少なくない。

とにかく外に出すこと。アウトプットしなければ、自分とは対面できない。僕の経験からはそうだ!

愚放塾では、手当たり次第、やってみて、本当にやりたいこと「=はまる」経験にまで辛抱強くチャレンジする。そのチャレンジも、気楽に楽しみながらする。そうしていくうちに、やりたいことがきっとみつかる、それが愚放塾の確信なのだ。

やりたいことに「はまる」まで、塾生のA君だって、ほぼ2か月半を要した。

 
それが「薫製器製作」である
 

「はまった!」・・・朝から物置で音がしているから行ってみるとA君が無心に作業している。昼飯も食べずにもう5時間以上熱中していた。

この経験こそ、ちょっと大げさだが、経験されないまま経験した事態、夢中であることは時間が止まる。永遠のいまを過ごしている。

愚放塾では、この時間感覚を大切にする。この時間の積み重ねが、知らないうちに自己変容をもたらし、いままで隠れていた才能を開いていくのである。

A君は、廃材の一斗缶や針金、その他のものを利用して、試行錯誤しながら薫製器を作り上げた。なかなか火元がうまくいかず、温度調整に苦労した。

絶望感を何度も味わいながら、ネット検索で調べたり、フェイスブックでアドバイスが入ったりして、やっと食べられるところまで辿りついた。一応の完成を見た。
燻製器2
あとは味だ。つけ汁の味に納得してないらしく、オリジナルの和風味を考案中である。

ちなみに副産物として、玄関口で薫製をしたために、室内に煙が立ち込め、床からたたみ、机上、桟等、細かい煤で汚れ、後の掃除が大変だった。

失敗も含めてすべてが学びである。失敗は成長の糧、愚放塾は失敗に関しては肯定的である。安易な成功より、未踏の失敗、挑戦の失敗、そこからあらたな地平が開けていく、だから、それらの失敗経験をなにより大切にする。

 
A君の変容ぶり!
 
些細なことにこだわり、自分を雁字搦めにする性格の厄介さに悩んでいたA君。しかし、彼の人生を不自由にしていた性格が、燻製器の失敗を通して変貌する。

温度管理、空気穴の調整、豆炭の置き方等々、観察し細かく記録を取り、小さな変化に気づき、修正を試みる・・・この忍耐強い理系的な性格こそ何を隠そう、あの厄介な性格の別の側面だったのだ。

A君の緻密さは、あの性格にほかならなかったのである。こだわりが緻密さに変わって、燻製器の完成の大きな立役者になったのである。

あの厄介者が、燻製器の失敗で立ち行かなくなったとき、緻密な救世主となって現れた。同じ性格が、光の当て方の違いだけで、こだわりから緻密さへ変貌したのである。

まだその先がある。A君と毎日の対話の中で、彼の薫製へのこだわりは独自の食肉観と響きあっていることが分かってきた。

単なる思い付きの薫製器づくりであったが、自己省察の、そして自己分析の結果、A君は薫製作りが狩猟願望=欲望と密接につながっていることを自覚し始めたのである。

A君がやりたいことをやりつくそうとしている過程で見出した、彼本来の欲望であるといってよいか・・・と思われる。A君はこう言ってはばからない。

「僕のしたいことは野生動物を殺して食べること、心の底板からその欲望が突き上げてくるんだ!」

いまはその理由づけをしなくてもいい。そのシンプルな欲望はきっと彼の眠っていたDNA情報がオンになったからにちがいない、もしかして、才能が開花することはDNA情報がオンになることかもしれない。

僕はそう思ったりもしているが、正直よく分からない。ともあれ、やりたいことが見つかったら、それを練り上げて、よい事まで引き上げなければならない。それが人生の使命へとつながる道なのである。

 
→参考記事:
「10,000時間熱中するためには?」
「生き方に迷っているあなたへ」
「ほとんどの人は目標を投げ出すが、投げ出さない人の特徴とは?」
「それでもイエスと言えるだろうか?」
「『死の経験』を潜ること、それは真の生き方を学ぶこと!」
「大学休学生は復学を目指す以前に何を極める?」
・愚放塾創設の志については、「塾長インタビュー」(Q17)

 
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