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ほとんどの人は目標を投げ出すが、投げ出さない人の特徴とは?
2015/4/4 塾長ブログより
 
生きることの意味
 
ナチスの強制収容所から奇跡的に生還したヴィクトール・フランクルの有名な著作「夜と霧」は、収容所で起こる人間的な出来事を冷徹な眼でもって記録した見聞録のような体裁をとっている。その「夜と霧」のなかに次のようなエピソードがある。

収容所のユダヤ人は、いつガス室送りになるか、先の見えない恐怖と不安に襲われる日々を過ごしていた。ある年、「クリスマスに解放される」といううわさが広まった。しかし、クリスマスになっても解放はならず、期待は見事に裏切られた。生きる目標を失った人々は急に力尽きて命のともしびを消していった。

この出来事をもとにフランクルは、生きることの意味を考えるようになる。

収容所で生き残った人々が、必ず生き抜いて愛する家族の元へ戻ることや残した仕事をやり遂げるといった目標を生きるエネルギーに替えていたという事実を知って、どれほど悲惨な目にあったとしても、その絶望の中で目標を失わないことが人生を肯定的に生きていく力になるとの結論に辿りつく。

それがフランクルの終生変わらぬ思想の核となった。「夜と霧」の原題は「それでも人生にヤー(イエス)と言う」である。戦後、フランクルは「人生にはどんな状況にも意味がある」と繰り返し説き、人生の意味を見いだせないで悩んでいる人々に向けて「ロゴセラピー」を考案し治療に当たった。
 
ある調査の驚くべき結果
 
世の中には、過酷な体験の中から人生を正面から解き明かそうとするフランクルの思想を逆なでする、こんな調査もある。

「人が何か目標をかかげたとき、あきらめるまでトライする回数は、平均何回か?」いう調査である。

調査結果は驚くべき数字である。

なんと「1回未満」であった。

ほとんどの人が試みることなく目標を投げ出していることになる。普通に考えれば、誰もがよりよい人生を送りたいと願っていることは間違いないだろう。しかし、目標を掲げても実行することなくあきらめてしまうというのである。

フランクルならどんな数字を予想をしただろうか。おそらくそこまでは予想し得なかったのではないだろうか。

ガス室送りの恐怖と荷重労働の酷使にもかからず、目標を持ち続けて生き残ったアウシュビッツの生き証人たちを目の当たりにして、人生において目標を持つことの重要性を説いてきたフランクルにとっては、目を疑いたくなるような数字にはちがいない。

彼は後年、「目標なしでは死んでしまうか、自己破滅的な行為に陥る」とまで言っているのだからなおさらである。
 
話は逆ではないのか
 
生活がなんら差し迫ってない人々に向かって目標を設定し、それを毎日実行しなさいといっても、あまり真剣に聞いてくれないのではないだろうか。たとえ目標を立てたとしても、先送りしてうっちゃておくか、実行してもせいぜい3日坊主に終わるのが関の山ではないだろうか。決して非難ているわけではない。それが普通だと言っているのである。幸せな生活はそれを維持していけばいいのであって、わざわざ変える必要もないからである。

理性的動物と定義される人間であっても、所詮は環境に左右される動物に変わりない。重量挙げの選手であっても箸を持つときは箸を持つだけの力しか使わない。切迫した状況でない限り、持ち前の力を限界まで発揮することはないだろう。普段の生活にあって限界まで頑張ることはそうそう起こらない。むしろ、状況が許すならばなるべく楽をしたい、それが理の当然というものではないだろうか。

生命の危機にさらされるとまでは言わないが、少なくとも人生の危機に陥った時にはじめて目標をもとうと思うのではないだろうか。このままではダメだと血相を変え、自分の生き方を見直し、新たな目標を立てる。そして、その方向へ向かって必死になるのではないだろうか。

もっとも、間近に危機的が迫ってきても、一向に目覚めない人もいるかもしれない。それならフランクルのいうことがよく分かる。目標をもたなければ、危機に対して対処できない。方向性が得られないのだから、迷走して危機にのまれて死ぬか、不運のせいにして自己破滅的になるか、そのどちらかに決まっている。だから、話は逆なのである。

フランクルの思想が意味を持つのは、苦しい状況の中で喘いで助けを求めている人に限るのである。安穏と生活している人にとってフランクルの言葉はまさに馬の耳に念仏である。

「人生にはどんな状況にも意味がある」の「どんな状況」とは、「どんな目にあっても」の「どんな」である。「それでも人生にヤーと言う」の「それでも」の前には順境ではなく、逆境が置かれている。

フランクルの言葉を敷衍すれば、「逆境にあってその運命を引き受けてこそ、生きる意味が見いだせるのであり、そこにおいてはじめて目標を掲げ、実行することの偉大な力を実感する」という意味ではないか。
 
目標が生きる今を輝かせる
 
フランクルがロゴセラピーという精神療法を考案したことは冒頭に挙げた。その中に「逆説志向」と呼ばれるフランクルならではの技法がある。

その技法を説明すると、たとえば何かに対して恐れがあるとする。普通はその原因を探ったり、症状を緩和させるために対症療法を施したりするが、彼の両方は、そうではなく、直接その恐れと対峙させるのだ。

恐れから目を逸らさせないばかりではなく、それに正面切って立ち向かわせようというものである。患者が恐れていることを当人にあえてさせることによって症状を改善しようとするところに特徴があり、その独自さは「逆説志向」という命名によくあらわれている。

この療法からも、フランクルという思想家の特異さが垣間見えるだろう。

苦悩している人に対して苦悩と直面させ、その苦悩を人生からの問いかけとして引き受けさせることがその思想の核であり、療法はそれを技法に落とし込んだものである。その観点に立ってはじめて目標を持つことの意味が理解できるのである。

フランクルの思想においては、目標は結果や成果ではない。結果主義や成果主義は目標を設定することでプロセスが手段と化してしまうが、その陥穽に落ちることはない。収容所で生き残ったユダヤ人たちがそうであったように、フランクルがいう目標とは、いまが輝き、その過程に生きる喜びが宿る、約めて言えば、人生を豊かにする作用のことである。成功哲学のおける目標とは一線を画している。
 
参考記事:愚放塾の教育方針は「頑張らない、楽しない、ごまかさない」ですが、フランクルの思想と一脈通じています
「キレイごとに聞こえるかもしれないが、極限もそう悪くない!」
「がんばらない、らくしない、ごまかさない」
「人生の「ツケ」を生きる力に変える」
「自分自身の人生を無意味に思う人は、不幸であるばかりか、生き抜く力も湧いて来ない」
「生き方に迷っているあなたへ」
 
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