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愚放塾3ヶ月の僕の体験手記
 塾生A 22歳
            

僕はあまり人生の進路を自分で考えたことが無く、大きなトラブルがあっても親が解決してくれていた。また、人間関係もたまたま恵まれていただけで、新しい場所でうまくやっていく自信が無かった。そうやって高校まで過ごしてきたが、大学に進学するにあたって、自分がとても高卒程度の精神年齢、経験、自立心を持ち合わせていると思えず、不安を抱えていた。不本意な学部を目指したのも悪かったのかもしれない。それでも、大学以外の進路は考えられなかったので、受験には臨み、無事合格することができた。
 
大学に入ってからはやはり、主体性の無さ、自己管理の甘さ、人との距離の置き方の稚拙さ、自分の在り方への自身の無さなどが原因で一学期早々出席日数不足で単位が2単位しか取れなかった。その年の冬には完全に引きこもりになっていて、日光が嫌いで、意識があるのが苦痛で、学校にも行く気にもならず、他人が怖くて、こんな自分の存在が消えてくれたらいいのにと思うようになった。住処が離れた友人がほぼ毎日僕の悩みを聴いてくれ、一緒にゲームをしたりしていたのが、毎日の唯一気がまぎれる時だった。
 
さすがにマズいと思ったので心療内科にかかることにし、一応回復はした。しかし学校には行けず、アルバイトやサークルの部長などを経験するも、大学には行けなかった。その間楽しいことも時々あった。サークルの合宿や、先輩方と酒を酌み交わしたりとそういうことはしていた。だからこそ、そういう場にはのこのこ行けるのに、学校にはいけない自分が嫌だった。それを直そうとも思わない自分に絶望した。
 
フリースクールにも顔を出して見た。何人か僕と同じような引きこもりの人と関わったが、皆、行き場が無い。フリースクールに来て、潰れた心を立て直しても、なにか問題が解決するわけではない、かといって、いきなり社会参加というステージに上がるのは実力不足が否めない。僕も大学に復帰する気にはなれず、ただ顔を出す日々が続いていた。フリースクールに来て3ヶ月ぐらいの人が「専門学校に行きたい」と言い出して周囲が止められていたのを思い出す。「まだ早い」と周りは言う。「人付き合いに慣れてからと言う。」当然の判断ではある。しかし、同じ人に話を聴いてもらう日々では人付き合いに慣れるとは思えなかった。そのことはフリースクールの代表の方も頭を悩ませていた。
 
引きこもり経歴が長く、フリースクールに行って自己整理ができたといっても、次の段階の他者との交わり方を考えていくのが大変難しい。やり場の無いやる気と、いざ社会に直面した時の無力感という矛盾した負の感情を持つ。それに苛まれた時、僕の場合破れかぶれになって、社会に突っ込んで玉砕するというパターンを繰り返していた。
 
そのうち、「僕はどこかおかしい。根っこの部分で何か間違っている」と思うようになる。
 
結局、紆余曲折あり、もう大学には行けないと判断し、中退を見据えて休学する。
 
このままでは生きて行けないと思い、基礎的なデスクワークに必要であろう資格を取ろうと思い立つ。実家でニートをしながらも、健康な生活を続け、ごくごく初歩の資格を取りあえずは取得できた。その矢先に愚放塾のワークショップの話が舞い込んできた。
 
対人関係のスキルに偏りがあった僕は、次の資格をとる合間に、対人関係もなんとかなるかもしれないと思い、たまたま、幸運にも実家の近所に愚放塾があったので見学させてもらう。
 
翌日から通いで愚放塾に行くことを決める。
 
はじめは、人付き合いに難がある僕の性質を変える手がかりがないかと思い、ワークショップに参加することにした。
初日に木戸さんが「お前はダメなやつだよ」と冗談交じりに言ってくれたのが本当に救いになった。自分のことをどうしようもなくだらしなくてダメな人間だと行動を見ても、言動からもわかるはずなのに、家族は認めてくれなかったからだ。ここが出発点となった。自分の立ち位置を正確に見てくれて、見捨てない人が居てくれるということが安心感を生んだ。
 
それでもやっぱり、5日で不安から行きたくなくなるが、この不安が人付き合いを難しくしているものだと思い、とにかく行ってみようと思った。
行ってみると、やはり他人に対してぎこちない自分が居た。人間不信にもなっていて、愚放塾で疎まれないかどうかを心配していた。でも、周りの人が支えてくれ優しかったのでなんとかやっていけそうな気がした。色々な人から僕の知らない人生をまざまざと見せてもらい、価値観が変る。
 
色々な演劇的なワークの中で、自分が他人に対して足りていなかったものが見え始めてきた。今までそれが具体的にわからず苦しんできた身としては突破口が見えた気がした。演劇的なワークといっても、最初はレクリエーション程度の難度であったが、それでも鈍化していた僕の心を活性化させるには十分すぎることだった。しかし一週間ほど経つと、やはり人間不信で自己嫌悪に陥り愚放塾に行くのが嫌になった。同時に僕の心の底に横たわっている、他人との付き合いを妨げている何かが見えかけているような気もした。
 
そこでもう少しがんばってみようと思い通い続けた。この頃の僕は朝が特に精神的に弱い時間帯で、起きてどうしても気が乗らなくて愚放塾を休むことも時々あった。それでも演劇ワークショップだけはなるべく出るようにしていたらしい。
 
失敗して、疲れて、落ち込んで、サボって、そうやって少しずつ演劇のワークを通して、自分の成長した点、今まで気がつかなかった感情などを出していった。
また、ブログで自分の内面を書き出していく愚放塾の方針もよかった。書かないと内面は案外わからないもので、頭でわかっていても消化しきれないことが書くことによって、納得できる形になるからだ。
 
演劇的ワークに関しては徐々に難度が上がっていって、常にギリギリできるかできないかぐらいのものであったので苦しい反面、毎日様々な気づきがあった。
演劇ワークは僕にとっては実社会に出るための、演習のようだった。非常に実戦的でコミュニケーションの中核を為すエッセンスが散りばめられていると思った。だからなんとか体得したかった。けれど僕のサボリ癖はでるし、すぐ疲れる。コミュニケーション力不足という現実が見えて落ち込んだり、意味のない不安に襲われたり、しまいには、木戸さんを海に蹴り落として、愚放塾を破壊しようという衝動まででてきた。そういう部分を全部表に出しても、許容してくれてワークを続けてくれたのが安心に繋がった。
 
このように愚放塾の空気が、定期的にエンストを起こす僕の体質を受け入れてくれたことで、心置きなく自分をさらけ出すこともできた。もちろんさらけ出さない自由もあり、塞ぎこむときもあったが。僕は肉体的にも精神的にもアップダウンが激しく、ある日突然朝からこの世の終わりのような気分になって、起きたくないと思いきや、午後にはいつも以上に元気になっていたりする。そんな僕を突き放すでもなく過保護にするでもなく、木戸さんはじめ皆さんがいつも通りに接してくれたことが、自分が存在を許されている気がした。
 
そうしている内に、『漫画「鈴木先生」の作者・武富健治氏と4日間の演劇体験!』が始まる。とにかく必死だった。せっかくの自分の内面と向き合うための場をセッティングしてくれているのだから、ここでやり切らなければ二度とこんな機会は無いと思い、思いつく限りの自分の問題点の根本部分を演劇の設定にした。自分の醜い部分、汚い部分引きずっている悔やみ、世間や親に言いたいこと、それらをきちんと、演劇の場で表現した時にはじめて自覚することになった。頭で何度も反芻したり、友人に愚痴っても出てこなかったものが出てきた。
 
激しい感情だった。同じ言葉でも感情の乗りかたが違う。一回きりの渾身の言葉が出る。二度と口にしなくてもいいような感じで言葉がでる。そうやって初めて自分の汚い部分を認められた気がした。数度のワークショップは僕にとっては精神的に過酷なものでありながらも、僕の表現欲求を刺激してくれて、僕が今まで見てみぬふりや、醜くて人に見せられないような部分をさらけ出す機会を与えてくれた。僕は露悪趣味があるようで、演劇のワークショップでは自分の汚い部分をみせたくてウズウズしていたことを思い出す。それをやりきったこと、必死になってやったことによって、悩みによって覆われていた、本来の自分自身と、自分我本当に問題にすべき課題が見えてきた。生きがいらしきものも初めて見えてきた。この時これだけ必死になれたのは、このワークショップが始まる一ヶ月前から徐々に演劇的なワークに慣れさせてくれたためだったのだ。
 
11月からは愚放塾に住み込んだ。
 
気がつくと、今まででは決してやらなかったようなことをやっていた。いつの間にか自分が限界だと思っていたことを越えていたのだった。越えていたことにすら気づかず。自覚したのは2~3週間後のことだった。具体的には未来に怯え、過去を悔やみ、がんじがらめになることが無くなっていた。考え方がシンプルになり、余計なことを考えないでよくなった。その分、多少余裕ができてきた。
 
そして木戸さんの教えを自分なりに解釈して「自分のなかの相反する部分、を両方大事にしたらいい。大切なのはバランスだ。一方を押さえ込むようではエネルギーを殺すことになる。」というような心への向き合い方が生まれた。所が人間はそんなに簡単に別人になれるはずも無く、それからも色々なことに挑戦し、自分で決めたことを時には投げ出し、時にはサボり、前ほどではないが不安になることもあった。突然の事にパニックになりかけたりもしたが前ほどの浮き沈みは確かに無くなっていた。
 
大師百年祭のイベントにチンドン屋として参加することになり、びびりながら、緊張しながらやって、やっぱり翌々日寝込んだ。一日ほど休むとまた普通の生活に無理なく帰っていき、そうしているうちにまた次の出来事が舞い込んで来る。ほふく前進しているようだと思った。だんだんと前進しているのを感じていた。この感覚を大事にしたかった。自分はゆっくりだが着実に前進している実感は僕に何かをやってみる力をくれた。
 
また僕は引きこもっている時から友人依存の気があったが、これが無くなっていたことにも気がついた。これは住み込みを始めて、日常生活の小さなことからやらせてくれたことが自信になり、友人依存脱却に繋がったのだと思う。例えば料理、してもよかったし、しなくてもよかった。掃除もそうだった。便所掃除などは3ヶ月たって初めてやった。全て自発をさりげなく促してくれる。こういう小さなことの積み重ねが、「無力感」を「微力感」に変えさせたのだと思う。
 
そしてこの未来への漠然とした不安や、過去への恨み言、後悔がなくなったことと、自分の中で微力感が生まれたことで、欲望が出てきた。僕は今まで趣味も進路も主体性が無く、「苦労して何かを手に入れるぐらいなら、何もせず何も手に入らないほうが楽でいい」と考えていたのだが、少しばかり苦労しても手に入れたいものや、やりたいことが出てきた。
 
年が明けてからは哲学の入門書を読んでいる。難しいが、生きる力、自分を保ちつつ世の中に順応するヒントが無数に隠されている気がする。
またそれを日常にフィードバックしていくことが僕のこれからの愚放塾での勉強だ。また、日常生活もまた勉強である。まだまだ微力でしかないが、しっかりと今を踏みしめ、自分を点検することを怠らなければ自立して生きていくことができるはずだ。
 
正直三ヶ月前の僕は、こんなに「気の持ちよう」が変ると思っていなかった。やる気を出すと口で言うのは簡単だが、実際はなにも情動は湧いてこないもので、三ヶ月前では今の様な生活はできないと思う。しかし、今は参ってしまって動けなくなるような精神的負担は感じていない。慣れなのかもしれないが、僕は今まで慣れるということも無く、頑なに自分の世界が崩れることを恐れていた。その恐怖を冷静に見つめ、日々を過ごすうちに少しずつ新しいことができるようになっていくのが大学復帰の足がかりになると信じている。
 
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