ホーム >塾長ブログ >小豆島愚放塾 > 思考の新しい習慣とは? >「死の経験」を潜ること、それは真の生き方を学ぶこと!

 

「死の経験」を潜ること、それは真の生き方を学ぶこと!
2015/1/29 塾長ブログより
 
人生最大の賭け
 

うまくいくと思っていた事すべてがうまくいかなくなってはじめて、いやがうえにも自分の生き方が問われる。生き方を学ぶには絶好の機会である。こういったら、いま出口が見つからずに苦しんでいる人たちからお叱りを受けるだろうか。たとえそうだとしても、安易な受け売りや軽薄な気取りでは決してないので、お許し願いたい。僕の実体験から出た言葉である。

8年ほど前、僕は直腸癌を発症した。しかし、手術を拒否して自分の力で治すことを選んだ。

その選択の背景には、母親を癌で亡くし、病院の治療方針に不信感を抱いていたこと、そして、現代医療においても癌の根治療法は解明できておらず、抗がん剤の種類は圧倒的に増えたものの、癌の治癒率はまったく変わっていない。それどころか、癌でなくなる人はむしろ増えている。

インターネットで調べれば、癌が自然治癒力で自然寛解して完治した人の体験談を読むことができる。書籍を当たっても、民間療法や代替療法で完治した事例の載っているものも手に入る。僕は意を強くして、自力で癌を治す道を邁進した。
 
人生最大の賭けは、人生最大の失敗となった!
 
現代医療を拒否して自らの自然治癒力に託した、その結果は無残なものだった。2年間の奮闘努力もむなしく、癌は直径2.5㎝から8㎝にまで大きくなっていた。

その間、僕は産休代替教員として勤務についていたが、下血はあったものの、痔も併発していたので、痛みがそれほどないことを幸いに痔のせいにして、癌そのものは完治へ向かって順調に回復しているものばかりと思い込んでいた。

下血がひどくなり、通じも悪く痛みも強くなったので、おかしいと思い、ほぼ2年ぶりに診療を受けると、肛門から8㎝先にあった癌細胞は増殖を繰り返して肛門から2~3㎝のところまで押し寄せていた。

医者の言葉を聞いて、僕は何も考えられなくなった。いままでの努力が水泡に帰した虚脱感ばかりではない。死の垂れ幕が目の前を覆って真っ暗になった。

恐怖の感情に混ざって後悔の言葉が力なく耳に貼りついている。医者の声が遠くからこだまのように聞こえていた。

「患者の予約がいっぱいで2か月はお待ちいただくことになります。ただし、緊急を要する場合は前倒しもあり得ますが、あなたの場合は、2年も放置していたのですし、2か月たったところで、それほど悪化することはないでしょう。病院からの連絡を自宅でお待ちください」
 
生きることを支えるとは、こういうこと!
 
絶望で憔悴した僕を最寄りの駅で妻が待っていてくれた。僕を見るなり妻の顔からは笑みがこぼれた。無理に繕った笑みではない。いつもと変わらない妻の、そうした佇まいに張りつめていた気持ちに穴が空いた。しばらく自宅までの暗い路地を黙って歩いていると、妻からこんな言葉が静かに発せられた。

「ぜったい私が治して見せる」

妻の言葉は夜道に響いたように感じた。僕を元気づけるためと聞き流したものの、何の医学的根拠もないその言葉にわけもなく救われたのを覚えている。

その晩はなかなか眠ることができずに、夜が更けるまで僕は妻に向かって、繰り言を言い続けた。妻は何も言わずに聞いてくれた。言っても仕方がないことだとは分かっていながらも、言わずにいられない。話しながらも、ふとして足元から崩れていく流砂に体ごと持って行かれるような無力感に襲われ、後悔の念に苛まれる。心の底板が外されたように真っ暗な闇に落ち込む。思考が止まる。黙りこくってしまう、その耐えられない沈黙にも、妻は静かに耳を傾けてくれた。

体の中を渦巻いては消え、また湧いてくる絶望的な感情を、どう処理したらいいのか分からない、しかし、無駄を承知で話す虚しい時間、未来がなくなり、時間の止まったような長い時間、その耐えられない「時」をひたすら供に過ごしてくれた妻に、僕はいまでも感謝している。この「時」がなければ今の僕はなかったといっても過言ではない。明け方5時を過ぎたころ、僕は話し疲れてようやく眠りについた。
 
ひたすら一生懸命に生きるだけ
 
起きると、妻はすでに起きていた。妻の言葉に嘘偽りはなかった。その日丸一日、琵琶温灸から生姜罨法といった癌に効くといわれているお手当てを徹底的にしてくれた。その果断な行動力に応えるように、僕の心に一つの覚悟が生まれていた。

「いまできることをとにかくしよう。できることならなんでもして一生懸命に生きる!」

いままで努力を怠ってきたわけではない。しかし、やむなくこなしている感じは否めなかった。もちろん不安もあった。癌という病を甘く見たわけではなかった。しかし、痛みがなかったから、油断もあった。毎日が慢性的な不安と慢性的な努力で漠然と過ぎていった。

「いま生きていることに感謝して、一つ一つのことを大切して、丁寧な生活をしよう!」

先が全く見えない不安のなかで、激痛に堪えながら、死の恐怖に怯えながら、それでもなお、生きている「いのち」を感じずにはいられない。いっそのことこのまま楽に死ねたらどれほどいいだろうと何度思ったことか、そのことにも嘘偽りはない。
 
生き方に底が入った
 
僕はたしかにあの「時」を境に変わったように思う。いま思えば、夢の中の出来事のようにも思える。待ったなしの状況の中で、延々と繰り出される繰り言、それをひたすら聞いてくれるひとりの人間。その愛に支えられて、僕の心にひとつの生き方が選び取られた。

いや、そんな大げさなものではないかもしれない。ただこう思っただけだ。

「誰でもできることを誰も真似のできないくらい丁寧にしよう、頑張らなくてもいい、ともかく一生けんめい丁寧にしよう!」

未来を思えば途端に黒い影が差し込む。8㎝と言えばもう末期癌の大きさである。入院の日取りが決まらない限り、転移しているかどうかも分からない。しかし、僕は心が麻痺することが一番怖かった。死ぬのも怖いが、心が虚しくなることを最も恐れたのである。

なんども繰り返すが、あの「時」が僕を変えた。すべてがうまくいくと思っていたことが全くの裏目に出て絶望の淵に立たされて、妻と過ごした夜中の数時間。僕はそこから真の生き方を学んだ、そう言って間違いない。

どこを向いても小さな穴すらない、出口が全く見つからないなかで、僕が選び取ったのは、できることを一生懸命にして、そのひとつひとつにしっかり心を働かせること、それだけが生きている実感につながるからである。

先の見えない、たとえ懸命に努力しても何の保証もない状況下で、最初に腐るのは心だ。その心を殺さないようにすることが、毎日懸命に生きている「いのち」に対する返礼である、そうでもしないと、未来ばかりか、生きられる「いま」までも失うことになってしまうからである。
 
僕は未来を捨てたのだ
 
幸い一命を取り留めた。しかし、一命を取り留めたから、あの晩の「あの時」のことが、いまに生きるのではない。妻に支えられた「あの時」を経て、その朝からすでにいまを生きていた。僕は心は生き直していた。

「絶望の向こうに光がある」

体のいい文学的虚構だと思っていた。僕はかつてこの言葉に嫌悪感さえ感じていた。しかし、いま改めてこの言葉を噛みしめるてみる。こんな風に言いかえられないだろうか?もちろん、あくまで僕の経験に即して言うのだが・・・、

「すべてがうまくゆかず、未来への通路がすべて塞がれた時こそ、真の生き方が天から問われるのではないか?絶望と真摯に向かい合った時、その向こうから差し込んでくる光こそ、何のいさおしもなく与えられた恩恵ではないか!」と。

「あの時」を過ごして、その朝目が覚めて、はしなくも覚悟ができていたように、ふとしてどこからともなく、心に光が差し込み、掛け値なしに生きることの大切さを指し示してくれていた。

生きることとはどんな状況においても、心の働きを失わないことだと、いまなら確信をもって言える。どんな状況にあっても、決して頑張らなくてもいいが、心を楽させず、誤魔化さずに、「いま、できること」をとにかく丁寧にする、その繰り返しの日々から真っ暗な未来に光明が差し込むことを、僕は癌という病気の経験によって教えられた。
 
「死の経験」とは、今をとことん生きる経験である
 
僕はいわば「死の経験」をした、その「死の経験」によって生き方を学んだ。

僕の場合は、文字通りの現実の死が契機となって死の経験が訪れたが、すべてがうまくゆかずに絶望しているときも同じではないだろうか。未来へ扉が固く閉ざされ、未来を失っている状況において、同様に「死の経験」がある。絶望という「死の経験」を潜ること、それは真の生き方を学び、新たな人生を得ることなのだ。僕はそう信じて疑わない。
 
参考記事:
「生き方に迷っているあなたへ」
「なぜ『愚放塾』を創ろうと思ったのですか?(Q17)」
「失敗体験」から「積極的な逃げ」そして「居場所」
「ほとんどの人は目標を投げ出すが、投げ出さない人の特徴とは?」
「いまを生きるか、いまに生きるか、どっちを選ぶ?」
「大学休学、不登校生の復学・復帰ための多重人格のすすめ」
 
ホーム >塾長ブログ >小豆島愚放塾 > 思考の新しい習慣とは? >「死の経験」を潜ること、それは真の生き方を学ぶこと!