標準化の流れに逆らおう
2014/8/20 塾長ブログより
 
血圧基準値の謎
 
免疫学者の安保徹氏によると 昭和50年までは血圧の上限値は180だったそうだ。戦後間もない頃の話だ。そのころは、仕事のほとんどは肉体労働で、ご飯もたくさん食べるし、塩分も大量に摂取した。180を越えなければ高血圧とは診断されなかった。

ところが昭和60年代になると血圧の上限値は160に変えられた。

なぜか?

人間の健康基準が大幅に見直されたのではない。そうではなく、医者が困ってしまったのだ。

なぜか?

日本は高度成長期に入り、生活の質はうなぎ上りによくなっていった。家電の三種の神器といわれる、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が各家庭に普及し、かつてのような重労働が激減した。

その結果、ご飯も前ほど食べなくなり、塩分もとらなくなった。自然と血圧は下がっていく。これでは、病院は困るのである。患者がいなくなる。

そこで、高血圧学会は、血圧の標準値を160に下げたのである。平成に入ると、日本人の血圧はさらに下がる傾向を示した。そこで学会はさらに危機感を持った。130に下げたのである。高血圧学会にとっては患者の健康より開業医の患者を確保することの方が重要なのである。
 
血圧に正常値などない
 
そういえば、僕の小さい頃、祖母が自分の年齢に90を足したのが正常血圧だといっていたのを覚えている。たぶん、祖母はかかりつけ医に聞いてそういったのだと思うが、そのころはそれが医学的常識だったのだろう。僕はいま57歳だから、その基準を当てはめれば、147までは正常であるということになる。

安保氏は言う。130で血圧が高いとなると、社会でバリバリ働いている人はみんな病気だ。医療の裏を知らない患者は、医者のいわれるままに、140,150のちょうど手頃な血圧の人でさえ、薬を処方され、病院経営に一役買っているのだと。

僕のかかりつけ医にその血圧の話をしたら、朝起きて一番気分のいい時に計った血圧がその人の正常血圧だと言っていた。

こういう先生をいい医者と言う。

中国のことわざに「中ぐらいの医者にかかるのと、全然医者にかからないのとは同じくらいの効果だ」というのがある。

この言葉をよく噛みしめて健康とはなにかを考えてみる必要があるのではないだろうか。
 
世の中から、赤ひげ先生が消えた!
 
たしかに、いまの医者は優秀である。知識もある。最新の医療についてもよく勉強している。説明能力もある。

しかし、かつての町医者のような医者は少なくなったのではないか。

医療ガイドラインに忠実に標準化治療をそつなく行なうが、まず触診はしない。触診しないどころではない。PC画面のデータを見ながら患者の顔すら見ないで話をしている医者もいる。

妻の漢方の先生の診断の仕方を見たことがある。妻と話しながら、目を細めて妻の体全体を見ている。それでだいたいが分かるという。むしろ、一生懸命に見てはダメだという。

この先生の所へは、現代医療で見放された患者が多く足を運んでいる。

しかし、現代医療の立場から見れば、これは医療ではなく、医術である。個人芸である。数知れぬ患者の体を診て、その経験の積み重ねの中から、学んだ個人の技術であり、いわば芸である。

こういう技術を医療に限らず、現代社会は邪魔なものとしてはじいてきた。

誰でも努力すれば習得可能な標準的なものにして、そしてその標準化を組織しながら、そのなかに巧みにお金を絡ませてきたのである。

その結果、独特の技術を持った個人が世の中から消えていった。
 
才能ある方が生きづらい
 
ある本を読んでいたら、こんなことが書いてあった。ある医学部の先生の話である。

こんな学生に医者になってもらいたい、きっといい医者になるだろうなと思うような学生がどんどん留年する。聞いてみると、規格化された知識、技術体系に耐えられなくて、勉強をする気がしないという。
逆にこんな学生が医者になったら、患者を機械的にさばくだけだと思うような学生が成績がよく、国家試験も受かる。てっとり早く医者になっていく。困ったもんだ。

この先生の嘆きが僕にはよく分かる。

僕の母はそういう医者に命を奪われた。それで、僕は癌が見つかった時、見つけてくれた医者には悪いが、その医者から同じような臭いを嗅ぎ取って、手術の日程も決まったのを手術日の直前で拒否した。敵前逃亡したのだ。敵前逃亡とは聞こえは悪いが、自分で治す道を選んだ。

結果はともかく、僕の判断は正しかったと今も思っている。
 
参考記事:
「ニート進化論」
「デタラメに強い人間がこれから生き残る」
「生きているのではなく、生きていくことを学ぶ、それが愚放塾の演劇ワークショップ」
「大学休学、不登校生の復学・復帰に向けた才能開花法」
「滅びの力を利して生きること、それが自然の摂理である」
「生き方に迷っているあなたへ」
→和歌山毒入りカレー問題から生き方を考える「若いうちに承知しておかなければいけないこと」
→理性だけでは悲劇が起こる「固い頭から自由になって、感覚を解放しよう」
 
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