身体性を取り戻そう

人間という種の最大の特徴は、環境適応能力ではないでしょうか?

人間の歴史とは、互助を基本として集団で生活し自然環境に適応しながら、自らにとって住みよい環境を創っていく、その営みといっても過言ではないでしょう。

もちろん、現代の複雑な高機能社会も、人間という種にとって、あらゆる事態から集団を守るために築かれた人為的な環境なのです。

現代という時代とは

現代において環境とは、リアルな現実ばかりではありません。言うまでもなく、ネットにおけるバーチャルな環境も含まれます。

現実の場を離れても、モバイルによってつながれている現代人は、電脳環境の中にも住んでいることになります。

インターネットのおかげで、手軽に情報をリアルタイムで受け取ることができ、危機管理においても、不測の事態から身を守ることできます。

身体性の喪失

このように環境が距離をなくすと同時に、ますます不可視の度合いを強める一方、私たちは、「いまここ」の身体性を失いつつあるのではないでしょうか?

日常の生活が、身体が「いまここ」において感じる現場感覚より、モバイルから発信される情報の方に比重が移ってきているのはたしかです。

たとえばSNSをはじめとして、ネット社会では、たくさんの人と電波でつながり、画像や文字情報だけでやり取りをして、不特定の人の反応を気にしたり、評価されたりしています。

そこでは、肌で感じ合う身体性は欠落しています。

身体を救済する

ところで、身体の情報処理能力はコンピューターの比でありません。

もし人間の身体がその能力を解放させるならば、その環境適応力は無限と言ってもよいでしょう。

丸四角の単純な形や限られた配色の、都会の貧相な景色に慣らされ、デジタル情報にどっぷり使った生活では、その身体の無限の可能性は使われ終いです。

デジタル情報の渦の中でネットの網に絡め取られ気息奄々としている身体を、この時代だからこそ、救済する必要があるのではないでしょうか?

風光明媚な小豆島で身体を取り戻してみませんか。

自然の木々の葉の一枚、浜辺の小石の一個、どれを取っても、ひとつとして同じ形のものはありません。

自然の情報量の多様さに触れただけでも、身体本来の野生に目覚めます。

愚放塾の周辺には、自然豊かな美しい場所がいっぱいあります。農園もあります。「いまここ」の感覚を大切にして、身体を中心にした演劇ワークショップを受けてみませんか。

デジタル情報で頭がいっぱいになり、自分を見失って出口の見えなくなった若者たちを対象に、身体的な感覚中心の演劇ワークショップを行っています。

いままで使ったことのない頭の使い方を体験し、ワークショップが終わるころには、未知の自分が開いているといることでしょう。

参考記事:
「愚放塾周辺の景色」
「動的平衡性と自己変容」
「『いのち』を分かち合う農業教育」
「愚放塾の農業教育」
「『自己変容』こそ命の原理である。」
「身体とは「当たり前」以上のものである」
「ひと言で「身体」と呼ぶが、身と体には歴然とした違いがある」