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「心に嘘をつかない」というのが愚放塾のルールであるのには、それなりの訳がある(1)
2015/1/9 塾長ブログより
 
借金地獄
 
幼い日の嘘の、消しがたい記憶がある。その後の僕の人生に大きな影を落とした切ない嘘。

僕が5歳の時、我が家は事業に失敗して、大きな借金を抱えてどん底の生活に喘いでいた。当時のお金で500万の借金、いまのお金に換算すれば、軽く5000万は超える。ひょっとしたら1億近い額に上るかもしれない。なにしろ、アンパン一個が5円とか10円の時代である。ありったけの田畑を売ったところで到底追いつく額ではなかった。

僕の実家は代々農家で地道に田畑を営み、その農作物の収益で生計を立てていた。

ある日、どこからともなく現れた遠縁にあたるという人が巧みにうまい話を持ちかけた。町会議員もした田舎の野心家の祖父の心に火をつけ、そして社長を名乗っていい気になっていた父、その有頂天の時期は、わずか数か月しか持たなかった。

農家の何十年分の収入にも相当する借金を抱えこんでしまった間抜けな祖父と父、世間の目からしたらお笑い草の家族であっても、その家中は地獄の真っ赤な池の前で明けても暮れても呆然と立ち尽くすよりほかはなったのである。

目も眩むような膨大な借金をどうしたものか、田舎で代々農業をひたすら営んできた家族になす術などあろうはずもなく、夜中に目を覚ましても言い争いの絶えない家族の声を、幼い僕は不吉な夢の出来事のように、小さい布団にくるまって底なしの不安のなかで聞いていた。
 
母の切ない里帰り
 
母の実家は、世間知らずの田舎者が他人の口車に乗って工場経営に手を出し騙された祖父と父を詰った。その迂闊さと愚かさに愛想尽かして、離縁も辞さない、とりあえず母と僕と妹を引き取ると言い出した。

母はこっそり僕と妹を連れて実家に戻った。それきり父のもとへは帰えらなかった。祖母はこの母の裏切りを末永く根に持ち、事あるごとに泣きを言い立てた。母は悪くなかった。おそらく悪くなかったにちがない。きっとお金の無心に実家に帰ったのだろう。

母方の祖父母はどちらも素朴な心優しい人だったから、母をかわいそうに思っても母に無理を強いることはなかったろう。だが、母の兄は筋を通して考える厳格な人だった。その厳格な伯父が母の実家ではすでに実権を握っていた。

自分に相談の一つもなく迂闊に事業に乗り出してだまされた父や祖父の愚かさを厳しく咎めて、父のとの離縁も口にした。頑固な兄に口答え一つ言えない母はもちろん僕や妹の将来を考えれば、引き取って実家で育てるしかない、そう考えていたとしも不思議ではない。
 
人生で初めての決断
 
幼なった僕に何ができるはずもない。伯父のそうした強引なやり方に反発を感じても悲しい気持ちでいっぱいになるのがせいぜいだっただろう。

けれども僕はひとり母の実家を後にした。

当時5歳だった僕がなぜ帰ると言い出したのか、その辺の事情はまったく覚えていない。そこには幼な心の精一杯の判断があったのかもしれない。

いまから思えば、僕は母の実家と父の実家のあいだを取り持つには、僕が父の家に帰るよりほか手立てがないのだと、子供の直感で理解したのかもしれない。とにかく僕は母や妹を残して、ひとりで祖父母や父のいる我が家へ戻ったのだった。

この幼ない決心は、僕の人生ではじめての決断だったかもしれない。しかし、その決断は幼い僕にはあまりに辛いものだった。母と離れて暮らす日々は耐えがたい寂しさの連続であった。母恋しいやりきれない悲しさが生活の隅々まで襲ってきた。
 
母恋しの日々
 
母親と連れ立って愉しそうに道行く子供を見ても、保育園の先生から親子の童話を聞かされても、すぐに胸が一杯になって涙ぐんだ。僕のことを不憫の思った父が洋服ダンスの鏡に貼り付けてくれた写真、母親がにっこり笑ってその腕にしっかり抱かれた僕が映っている写真を見ては暗い納戸でひっそり泣いていた。

毎日が涙に滲んでいた。それでも祖父母や父のいる前では決して涙を見せなかった。暗い生活を少しでも明るくしようと健気に振舞ったのだ。親戚の人から小遣いを貰えば、郵便局でくれたウサギの貯金箱に入れて見せて、祖母を喜ばせたりもした。

父方の伯父の尽力によって、母の実家と和解にこぎつけたのは僕にとってはあまりにも長い1年という年月が流れていた。ようやく待ち焦がれた母が家に戻ってきたのだ。
 
さらなる悲しみが始まった
 
母と祖母の関係はそうたやすく修復するはずもなく、何かにつけて祖母は母に辛く当たった。負い目を持つ母の耐え忍ぶ姿は今までとは違う種類の悲しみを幼い心に刻みつけた。いつのまにか僕の心は母の気持ちと一緒になっていた。

いまから思えば、幼い僕は心の中で祖母を心底憎んでいた。母をいじめる祖母が大嫌いでならなかったはずであった。

しかしながら、実際は違った。幼い僕の心がそのことを意識するのは、あまりにも残酷なことだった。

僕はかわいがってくれる祖母に対して、嫌いだとは言えないどころか、祖母の顔色を窺うように機嫌を取り、祖母の気に入ることを察して、肩をたたいてあげたり、お使いに行ってあげたり、僕はいつの間にか祖母一番のお気に入りの孫になっていた。
 
祖母の顔が鬼婆に見えた日。
 
あるとき、祖母の部屋の掃除を手伝っていると、畳を掃きながら祖母は僕に

「おばあちゃんとおかあちゃんと、どちらが好きだ?」と聞いた。

そのときの祖母の鬼のような顔を今も忘れない。実際に祖母の顔が鬼の形相をしていたわけではない。祖母は微笑むように、むしろ冗談のように言ったのかもしれない。しかし、僕にとって何より辛い選択を迫ってそう問い質す祖母の心のうちに鬼が棲んでいることを子供ながらに悟ったに違いない。

そのときの祖母の顔は思い出すこともままならない。しかし、祖母の発した言葉がいまも心に焼き付いていて離れない。僕はきっと祖母の顔に鬼を見たに違いなかった。

「おばあちゃん」と僕はすぐさま、そう答えた。

僕はすかさず嘘をついたのだ。咄嗟に「おばあちゃん」と言わなければ、母がもっといじめらると感じたからだ。この幼いときの嘘が後々の僕の人格形成に大きな影を落さないはずがない。

to be continued
 
「心に嘘をつかない」というのが愚放塾のルールであるのには、それなりの訳がある(2)
 
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