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「心に嘘をつかない」というのが愚放塾のルールであるのには、それなりの訳がある(2)
2015/1/10 塾長ブログより
 
母の苦労と愛情
 
父と祖父は莫大な借金を返すために、農繁期を除いて1年の3分の2は東北地方へメリヤスの下着を売りに行商に出かけていった。

母は毎日明け方近くまで縫製の内職をした。1枚縫って1円程度の内職でまとまった金にするには、内職といえども片手間仕事でやったのではいくらにもならなかった。昼間は男手を欠く野良仕事を祖母と一緒にしたうえの内職である。母の体は疲れて休む間もなく日々の酷使に耐えた。

深夜目を覚ますと、ミシンの音が襖を隔てて響いている。朝起きると母はすでに起きて台所に立っている。ちゃぶ台の上には鉛筆が削ってきれいに揃えてある。

内職を終えて最後の仕事が僕の鉛筆削りである。手動の鉛筆削りなどまだ普及していなかった頃だったから、母は一本一本ナイフで削って新聞の広告紙の裏に書いては尖った芯を丸くした。そのデッサンの影のような木炭の黒く塗られた紙を見ながら、僕はいつも母の愛情を切ないくらい感じた。

いつかこの母を絶対幸せにしてやろうと心に誓ったものだった。たしか僕が小学校1年頃だった。妹はまだ保育園だった。

母は僕が25才のときに、癌に冒されて53才の若さで亡くなった。これから思う存分親孝行ができるという矢先に帰らぬ人となってしまった。僕のやり切れぬ悔しさはいまも心にくすぶり続けている。
 
母を守るためについた嘘の落した影
 
僕は大好きな母を守りたいゆえに祖母に「おばあちゃんとおかあちゃんとどちら好きだ?」と聞かれて「おばあちゃん」と答えた。ひたすら無力な子供の知恵だった。倒産、借金、家族崩壊の危機を目の当たりにして、子供なりに巡らした必死の知恵だった。

しかし、いまからすれば、「おばあちゃんなんて大嫌いだ!」と言える無邪気な子供だったら、どれほどよかったかとつくづく思う。

母をいじめる祖母を心の底では憎んでいたにもかかわらず、母に当て擦るように僕をかわいがる祖母に対して決して「嫌い」と言えないばかりか、逆に母を慮って祖母の機嫌を気遣ってしまう。

切なくも屈折した幼子の心理は、図らずもこの後の対人間関係の土台となり、僕はこの悲しい処世術から逃れなくなっていくのである。僕は気がついたときには、人にNOと言えないお人好しで、つねに人目を気にする気の弱い少年になっていた。
 
いつも脅えている神経質な少年
 
父と祖父は一年のほとんどを留守にする。農繁期の他は、帰ってきたと思ったら幾ばくもしないうちに大きな荷物を拵えてすぐに出かけて行ってしまう。残された家族は、母と祖母と妹と僕の四人、大人の男のいない家にはつねに足元の定まらないような不安がついてまわった。そして、何より淋しかった。

八ヶ岳おろしが吹きすさび、裏戸を激しく叩く。冬の夜に田舎の広い家屋の小さな居間の炬燵を囲む四人がひっそりと夕食をとっている、今思い出しても、電灯の明かりの届かない薄暗い陰が寂しさを縁取って一枚の絵のような光景として、鮮やかな切なさで蘇ってくる。

父や祖父がいない家にあって、かそけき幼な心は母の存在との同化し、母の喜びや悲しみがそのまま世界に跳ね返ってきた。母が悲しめば生きた空もなく僕の世界は萎え凋んだ。僕の心にぴたっと身を寄せる母はいつも危うく頼りないものに映った。言い知れぬ不安に絶えず怯えて、何かが崩壊する感じにいつもつきまとわれていた。

眠ってもし眼が覚めなったらどうしよう、そんな不安が小さい心の闇を襲った。僕は小学生の頃から寝つきが悪く、なかなか眠ることの出ない子供らしくない子供だった。みんながしんと寝静まっている夜にひとり目を覚ましている時間の心細く、夜の底に吸い込まれてすっと消え入ってしまうような自己のはかなさに人知れず震えた。

おのれの身体や精神であっても、一生懸命頑張ったところで、決して自分の思い通りにはならない。自分のもとへ降りかかってくる災難から身を守るには、相手に立ち向かうのではなく、ひたすら不安に怯えながらただなすがままにやり過ごすしかない。

倒産と借金、母の耐える姿と母をいじめる祖母の存在、どれもこれも幼い僕からすれば、法外で闇雲な理解できない暴力であった。理解できないものに対しては、ひたすら恐れおののくしかない。自分で言うのもなんだが、僕は思慮深い子供だったのだろう。だからこそ、頭で理解できないことがなにより恐ろしかった。小さい頭が不安の闇ですっぽり覆われていた。
 
弱者の卑屈な処世術
 
母をいじめる祖母の顔色を窺うのも、たぶん幼い頭を巡らして考えた末のことだったに違いない。嫌いな祖母なのに好きだと嘘をつくのも咄嗟に考えついた子供ながらの知恵だった。

でも悲しいかな、弱いものが生きていく上での処世術を、僕は人生の早い時分に身につけてしまったようだ。幼くして、小賢しくもあまりにも悲しい知恵の洗礼を受けてしまった。

僕は相手の思惑など顧慮しない無邪気な子供になりたかった。祖母を怒らせた後のことなど一切かまわず「クソばばあ」と大声で叫んで、あとはケロッとしているような子供でありたかった。

僕の人生が抱えた問題、その原因を辿れば、必ずこの時点に連れ戻される。僕の人生はこの最初の嘘から始まったといっても過言ではない。
 
「心に嘘をつかないことの効用」も併せてお読みください。
 
参考記事:
「人目を仲人として結ばれたのが「自愛」である?」
「人間のズルさは人間だけの知恵?」
「『思いやる』ことの罪深さ」
「自己愛の強い人はチェーホフの「かもめ」を読もう!」
「孝行とは、親の心を知ること!」
 
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