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弱いまま強くなるために(25)
2015/6/29 塾長ブログより
 
傷つきやすい青年は、女座りの背を丸くして間の抜けた笑みを浮かべている。

たつやは依然として青年にまとわりついて、今度は背中に頭を強く押し付けている。

青年にはたしかに朦朧としていたが、もちろん意識はある。話し声が聞こえる。鳥の鳴き声も聞こえる。

ただ、水の中にいるようにあたりは静まり返っている。この奇妙な静けさの中で、心の底に穴が空いてそこから意識が漏れ出している、どうにもならずにどんどん漏れて出して、ひたすら隠しておきたいことまでが周りの景色に溶け込んで行く。世界が呼吸していて全身がどこまでも広がっていく感じに浸っていた。

「たつや、こいつ、やっぱり変だ」

と、さとるがいつの間にか青年の目の前に座っていた。たつやは顔を上げると、腫れぼったい目でさとるを見た。

「俺と同じことを経験しているんだ。邪魔しないで静かにしておいてやれ」

と言うとふたたび青年の身体に両手を絡めて背中に頭を押し付けた。

「いいから、この顔見てみろよ」

さとるは立ち上がると、たつやの頭をつかんで青年の顔の前に持ってきた。

「放心状態になっているだけだろう」

たつやはそう言って振り仰ぐと、思わずぎょっとした。そこにはさとるの顔だけがあるのではなかった。さとるの顔を囲むように先生、奥さん、まー君の顔が並んでいたのだった。

「だから、危ないって言ってるじゃないか」

とさとるが怒鳴った。

「そうかしらねえ、私には弥勒菩薩ように見えるわ、放心して澄んだ心境になっているじゃないのかしらねえ~、たつや君のいう通り、そっとしておいてあげるほうがいいわよ」

と奥さんは、健康すぎるほどあっけらかんと言い放つと、すぐさま先生が言葉を継いだ。

「弥勒菩薩か、そういえば似ているな、一枚撮っておくか」

といってカメラのシャッターを押す。苛立ったさとるが叫んだ。

「そんなのんきなこと言っている場合じゃないんです」

青年に注がれてた視線の束が、一転、テラスの中央に向かった。さとるがテラスに真ん中に立っていた。

「こいつ、本当に戻ってこれなくっちゃいますよ。僕にも一度だけ、心が飛んだことがあったんです。やばいですよ、戻ってこれなくなったら。俺の場合、導師が居たので助かりましたが」

「さとる、じゃあ、どうすればいいんだ。お前が導師になって、ひとしを元に戻してみろ」

と先生にしては珍しく荒げた声で言った。

「無理です、無理です、先生、俺にそんな力はありませんよ、いまの俺はタクシー運転手でしかないんで・・」

遠巻きに眺めていたカズさんの声がした。

「そいつの目を見ろ」

きょとんとした間が空く。

「目を見るんだ」

と、念押しするカズさん。すると、一同息を合わせたようにカズさんの声のする方へ振り向いた。まー君が、

「カズさん、ひとしの目は閉じてますよ」

とカズさんの言葉を正すように言った。カズさんは首を振って

「そうだ、目は閉じている」

と言うと、みんながどっと笑う。カズさんは表情一つ変えずに

「だが、首は垂れていないだろう」

と言うと、また沈黙が流れた。

「そうだわよ、やっぱり、ひとし君、瞑想しているのよ、僧侶みたいだわ」

と奥さんが得意げに口を挟む。カズさんは取り合わず

「俺の経験から言えば、おそらくこいつは…心が羽をつけて飛んでいる」

みんなが一斉に

「えっ!」

と声を上げた。カズさん、意に介する様子もなく、ああだこうだと訳知り顔に話を続けるが、

「…で、まあ、大丈夫…だと思う…」

と、今までと違って明らかに言葉尻に力がない。その語尾が宙に浮いて場を覆い始めるのを察したまー君が

「なんだかんだ言ってるより、ひとしを起こせばいいんじゃないの、まったくばっかみたいだわね、もうやだっ!」

と言って、青年の肩をつかんで揺り動かそうとする。じっと青年と心を一つにしていた、たつやがぬっと立ち上がって

「やめろ、静かしておいてやれ」

といって、まー君を投げ飛ばす。テラスに尻もちをついたまー君が、

「あんた、小さいくせに力あるわね」

と、上目遣いにたつやを見る。たつやは、マー君を一瞥して

「その目だけはやめろって言ってるだろっ!」

と言い遣って、その大きな目で何かを探すようにうろつくと、先生を的にして止まった。

「ひとしは、俺と同じ経験をしているんだ。先生、覚えてる?覚えてないなんて言わせないよ」

と語気を強めた。いきなり教え子から矢を放たれた方の先生は、一切の責任を向けられたと思ったのか、どぎまぎした心中を隠すように、とりあえずの避難勧告でもするように

「忘れるわけがないじゃないか、なあ、みんな、ここは輪になって、たつやの話をじっくり聞こうじゃないか」

というと、先頭になってテラスの中央に陣取って座った。

「さと子、ビールを用意しろ」と奥さんに言う。奥さんもわきまえたもので、そそくさと家の中へ消えた。

「ひとしは、このまま放っておくんですか、先生」

と、さとるがあきれたふうに言うと、先生は二の矢をかわすように、カズさんのほうを見て

「カズさん、ひとしは、大丈夫ですよね」

と相槌を求めた。カズさんも手慣れたものである。阿吽の呼吸で大きく頷いた。若者の真っ直ぐさを巧みにいなす大人の会話で応じたのである。

この無責任な集団は、青年をひとり残して、わっぱになって座ると、奥さんが用意してくれたビールとつまみを前に宴会が始まった。

待ってましたとばかりにたつやが口火を切った。

「あいつは、俺と同じで弱い人間なんです。情けないやつなんだ。陸上部の後輩でね、中学1年の時から、かわいがってやったから、あいつのことは俺が一番よく知っている…」

たつやは、まだ微笑みを湛えたまま座っている青年のほうを見やりながら、いつものように語り始めた。といっても、今日ばかりは酒の入る前からである。
 
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