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弱いまま強くなるために(23)
2015/6/13 塾長ブログより
 
傷つきやすい青年はテラスに棒立ちになったままラーメンを浮かべていた。スープ、チャーシュー、ゆで卵の白と黄色がことさらに浮き上がって見える。

おなかがすいているわけではなかったが、別段変だとも思わなかった。そうではない、何も思わなかったのだ。もう引っ込みがつかない状況で、これから何をやらされるのか、その不安を紛らすために無意識が作り出した現実逃避にはちがいなかった。

しかしながら、奇しくもこの何の変哲もないラーメンが現実から逃れていく線の起点となったのである。

「いま思っていることを吐き出せ!」

カズさんが怒鳴った。普段の温厚なカズさんからは想像できない怒声である。この突拍子のない轟音がざわついた空気を一気に吹っ飛ばした。青年は心臓が止まるほどひるんで傍目にも全身がドスンと震えたのが分かった。

青年は反射的に

「ラーメン、チャーシュー、卵」

と、叫んだ。

どっと沸いた。

「期待を裏切らないな、お前は、まったくもって道化役者だ、あはははっ」

と、先生のカメラ越しの笑いが通奏低音のように響く。まー君もあきれ果てたふうに苦笑している。そして、つっと立ち上がると、いつもの調子で減らず口を叩いてしまった。

「あんたのなかには、馬鹿野郎とか、死ねとか、そういう怒りはないのよね、わらっちゃうわ、もう…」

「まさし、ケンカ売ってるのか」

と、突然カズさんの凄味の効いた声が通った。その場はふたたび水を打ったように静まり返った。まー君は一旦伸ばした体をばつの悪そうに縮めるとそのまま小さくなって座り込んでしまった。

気まずい間が空いたのを察したのか、

「いえ」

と、まー君は蚊の鳴くような声をあげた。

俳優とサシでやり取りしながら稽古をつけるのがカズさん一流のやり方である。まー君もそうやって稽古をつけてもらったはずなのについ口が滑ってしまったのだ。

「稽古は真剣勝負」と日頃から言っている。半可通な人ほどよく口にする言葉だが、カズさんの言葉はテコでも動かない。小学校から勉強嫌いで通したカズさんは中学を卒業すると日雇い労働者になった。まだ子供の面影を残す少年が現場の飯場に入った。親ほども違う大人たちと寝泊まりし労働して鍛え上げた肉体と心は筋金入りである。

悪いこともひと通り覚えた。武勇伝には事欠かない。酒が入って機嫌がよくなると「喧嘩は売らないが、売られた喧嘩はただでいただく」が口癖。飲み屋でたまたま知り合ったヤクザと口論になり殴り合いの喧嘩となって路地裏を逃げ回った類の話が面白おかしく繰り出される。風俗のポン引きやストリップ小屋の清掃係など裏の世界を渡り歩いて、知人の紹介で大手撮影所の大部屋俳優になって役者稼業をスタートさせたのである。

「いまのラーメン、よかったよ。さあ、仕切り直しだ、はじめるか」

そういうと、カズさんは青年をまっすぐに見て言葉を継いだ。

「もういっちょ行こうか」

青年は、「何がもういっちょなのか」、さっぱりわからない。何もできずに黙っているしかなかった。

カズさんは眼を据えてこちらを注視してじっと待っている。その強い視線は正面からの陽ざしと相まって天から降り注いでいるようだ。まわりの人たちが遠のいて暗い人影になって見える。シーンと鎮まった雰囲気にあたかも青年はスポットライトに照らされて本当の舞台に立っている、そんな錯覚に妙な高まりを覚えていた。

「そのまま、動くな」

と強い口調で言うと、カズさんは立ち上がった。真向いのカズさんが光背を背負っている。黒いシルエットが光に包まれている。

何分経ったのだろうか。

青年は魔法にかけられたように動けなくなった。同時に重心が次第に落ちていった。落ちていくにしたがって内面の底から上へ突き上げてくる強いものを感じていた。

「この時を逃したら終わりだ。それをやれ!」

カズさんは静かに言った。青年は了解した。
 
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