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弱いまま強くなるために(18)
2015/6/3 塾長ブログより
 

傷つきやすい青年は、乾いた光で目が覚めた。目を細めると真っ青な青空が広がっている。ひんやりした風が身体の上を軽やかに駈けていく。

背中がむず痒い。横になって手を背中に持っていくと、ゆっくりと体を起こした。茂みが揺れて小さな花々が咲き乱れている。たくさんの黄色が陽に照らされてきらきら泳いで甘い香りがあたりに散らばっている。ミツバチが羽音を立ている。

虚けたようにあたりを見回していると、奥さんの声がする。振り向くと簀子のテラスから名前を呼んでいる。

「起きたわね、風が気持ちいいでしょう。しぼりたての牛乳があるから飲まない?」

青年はオレンジ色のシャツについた芝を払って立ち上がった。芝の屑が落ちると少しよろけた。めまいを感じた。はじめて昨夜飲み過ぎたことを思い出した。「けっこう飲んだな」とつぶやいたが、気分は悪くない。不思議であった。あれだけの量を飲んだら、いつもなら二日酔いで一日中寝込んでいるのにこの日にかぎってはかえって調子のいいといったところらしい。

青年は、昨夜のことなど忘れたかのように、そのまま奥さんのもとへ駆け寄った。奥さんの笑顔がまぶしかった。テラスの上のテーブルには牛乳がペットボトルに入ってコップと一緒においてあった。椅子に腰かけて注いでくれた牛乳を一口飲むと、空っぽの胃袋が冷たい刺激で収縮する。自分とは違った生きものが体内で動いているようにも思えた。

「みんなは、どうしたんですか」

「主人たちは釣りに出かけたのよ」

「釣り?」

「この奥に谷があるの」

「渓流釣りですか」

「そう、暗いうちに車で行ったわよ。ほんとに元気よね、うらやましいわ、あんなに飲んで騒いで、平気で出かけるんだから。主人はいつものようにマイペースだからいいけど、あの子たち一睡もしてないんじゃないの」

「大丈夫なんですか。岩場とか、滑って危なくないですか、足場の悪いところを登ったり降りたりするんでしょ、それに飲酒運転…」

「いつものことなのよ、滑ったり転んだりして、泥まみれになって帰ってくるわよ。その割に獲物は少ないけどね」

と、女の人にしては少々太いかすれた声で笑いながら、言葉をつづけた。

「ほんとに若いっていいわね。怖いもの知らずなんだから」

青年は奥さんの「ほんとに」という言葉を聞くたびに、得体のしれない悔しい思いが込み上げてきた。その感情に身を任せるままに、奥さんの話を聞いていた。

「あの子たち、ほんとに仲がいいの。飲むといつも喧嘩になるけど、朝にはけろっとして何もなかったように笑ってるのよ。主人も主人でなにがはじまってもほったらかしにして、自分は先に寝て起きても知らん顔してるわ。いいわね、気心が知れているって、女同士なら、ああはいかないのよねえ~」

青年はあの場面がまざまざと浮かんできた。

「あんなに惨めな姿をさらけ出して平気でいられるのか」

かすかな身震いが起こった。青年には体全体が大きく揺れたように感じられた。そうして自然と体が固まっていくのを遠くの出来事のように感じていた。青年の顔にはおそらく紗のような幕がかかっていたのだろう。

「顔色が悪いわ、飲み過ぎたかしらね、あの人たちとまともに付き合ったらだめよ」

胸が高鳴って嫌な汗が脇の下に滲んでいる。

青年には如何にしても受け入れ難いことだった。「あんなにみじめなことはできない」という嫌悪のなかにはうらやましい感情も混ざっていたが、青年の心には腑分けして感取するだけの余裕はなかった。

小さいころから「男らしく、頑張れ、負けるな」と言われ続け、人目ばかりを気にして、いつもああだこうだと逃げを打っては、なりふりかまわず頑張ることのできない自分が相変わらずそこにいた。青年は小動物が怯えるようにうつむいたまま動けなかった。

「嘘なのよ、まともに付き合ったらだめって言ったでしょ、私も最初はそりゃあ、驚くわよ、いきなり素っ裸になるんだから・・・」

青年の頭がゆっくり持ち上がった。青年は見上げるように奥さんを見る。奥さんの翳になった笑顔が光に包まれている。

「たぶん嘘なのよ、嘘だと思うわ。喧嘩しているけど、喧嘩を楽しんでいるのよ、ああしてなんだかんだと言い合って遊んでいるのよ」

「嘘!」

「なんでも、さとる君がいうには、嘘をつく修業があるらしいの、どれだけ嘘をついて、その嘘を信じることができるか、それが修業らしいのよ。般若心経にあるでしょう。色即空っていうじゃない、この世はすべてかりそめ、空なのね、嘘をついてその嘘を信じるのはこの世を生き抜く方便だというのよ。もちろん、人を傷つけるような嘘はダメよ。私、その話を聞いて、なるほどって思ったわ。いい加減のように見えて、しっかり修行してきたじゃないって、名前の通りだわって言ってやったわよ」

と、奥さんは屈託なく笑うと、規則正しく並んだ青年の両肩がいくぶん崩れたように感じられた。

いきなりガラスの引き戸が開いた。

「行かなかったの」

青年が振り返ると、おかまのマー君が立っていた。

「今日は、やめた」

「マー君でも二日酔いするの」

「そうじゃあなくて、こいつが気になったんだ」
と、青年のほうを顎でしゃくりあげた。

「けっこう、うなされていたんで…それで先生が、お前残って面倒見てやれっていうもんだから…」
 
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