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弱いまま強くなるために(16)
2015/5/10 塾長ブログより
 
傷つきやすい青年は網の上のクサヤを無造作に手に取ると口のなかへ放り込んだ。

いつもならこの強烈な臭いに怖気づいてこの未知の経験に手を染めるようなことはけっしてしない。虚栄心からそうしたわけではない。ほぼ10年ぶりに再会したあの男のギョロ目がうつむいた頭の天辺に貼りついていた。

体のこわばりを感じながらクサヤを思い切って噛んだ。その柔らかい身はいささか強すぎた。ぬるっとした汁に吐き気を催した。一週間の仕事に神経をすり減らして疲れ切った体の底から突き上げてくる大きな力に抗しきれずに思わず吐き出した。

いきなり体育教師が立ち上がった。青年ははっとした。見上げると、大きく手を振って叫んでいる。青年はまだ口の中に残っていたクサヤの残骸が異物のように膨れ上がってふたたび吐き出しそうになった。今度はハンカチを口元に持っていったが、吐けなかった。

「無理するな!」

体育教師は見下ろすと舌打ちしたような表情をつくった。先生は例によって笑っている。青年はこの場を一刻でも早く立ち去りたい気持ちに襲われたが、うなだれたままの態勢から身を起こすことができなかった。

二人の男が賑やかにやってきた。

「クサヤだ! 先生」

「もういい、あいつもまいっている」といって先生は青年のほうを指さした。

「いや、いや、本当にうまいのは、トビだよ、先生」

「トビきりうまいよ!」

「まあいいから、座れ!」と先生の声。

一人は、白いシャツのボタンを掛けずにはだけて裸足にサンダル履きで缶ビールと日本酒を抱えていた。もう一人は野球帽を目深にかぶり、ジージャン姿のスニーカーの男は、おおきな紙袋をぶら下げている。

ジージャン男はクサヤを取り出して、網の上におくと、青年の隣に座った。サンダル男も座るとさっそく缶ビールに指をかけて引くとそのまま口をつけて喉を鳴らしている。一気に飲み干すと、一升瓶の栓を抜いて先生に突き出した。

「先生、日本酒っていうのは、熱燗にしてもいいし、冷やしても、常温だって、うまいしさあ、先生。実家が酒屋だからね、世界のいろんな酒を知っているけど、日本酒はうまいよ、先生。おれはビールしか飲めないけど、皮肉なもんだね」

このサンダルの男、変わった経歴の持ち主で高校卒業と同時にタイに渡り得度して僧侶になり3年ほどで帰ってきた。本当に修行したのかどうか怪しいものだが、本人の言わせると、ちゃんと還俗して個人タクシーの運転手になったそうだ。長男だが、家業は継がない。しかし、実家で生活している。車好きで、工業高校を出ているので整備も手前で済ますが、仕事は一日4時間と決めている。今日も稼ぎ時に先生の家にやってきて、こうして酒を飲んでいる。朝から酒を飲み、酔いがさめたら仕事に出るような気ままな生活をしている。もっとも家を継いでほしい親の足元を見て親のすねをかじっている特権的身分。だからこそできる芸当である。

「八丈もいいけどさ、新島産のやつ、臭いだろう、うまい、食べろ、いけるだろう、芋焼酎の強くて臭いのでキュッとさ」と自分でもってきたクサヤを自賛しながら日本酒を手酌でコップになみなみそそぐ。口をとがらせてコップの端をちょいと啜ってあとは手に持つと一気に飲み干した。

このジージャンの男、言葉は乱暴だが、普段は女言葉を使う。その手の人たちが集まった劇団に入っていたんだけど、つい先ごろやめた。なんでも公演の度に親族の誰かが亡くなってそれでも劇のほうを優先して葬儀にも出ないものだから、「お前が劇団にいると誰かが死ぬからやめてくれ」と親戚中の大合唱にあってやむなく退団したらしい。クサヤを持ってきたのは、体育教師が今日クサヤのバーベキューをするのを知っていてわざわざ持ってきたのだ。

「おまえ、ないと思ってるの、ところがあるんだよ、珍しいやつがある」と体育教師がくるっと後ろを向いて黒い瓶を前に差し出した。

「六調子だ!ほら、飲め」

とフタをひねると、自分のコップになみなみ注いだ。そして、サンダル男のコップにも乱暴にがぶがぶと入れた。

「おまえらさ、それ芋じゃねえ、米だよ」と
タクシーの運転手が横槍を入れると、二人は口をそろえて
「そんなのどうでもいい」と
言うと、体育教師はまだビールの入った飲みさしのコップにがぶがぶ焼酎を入れた。

万事その調子ですべていい加減に事が運ぶ。青年にはこの無神経さがたまらなかった。ここに来たことを後悔していた。

「たしかあの晩もたしかこのメンバーだった」

先生と再会して初めて先生の新居を訪れた晩だった。なにからなにまで吐き気がする。どこまでもどこまでも吐き気が続いていく。身を固くしてぴったり閉じていてもその扉の隙間から嫌な汁が漏れこんでる。嫌悪の臨界点を超えたような記憶が舞い戻ってきた。どうしてこんなところへわざわざ来てしまったのだろうかと、青年は自分のうかつさを責めた。

この3人、中学のときは札付きの不良で担任が先生だった。ありとあらゆる悪さをして警察沙汰にまでなったこともある。この3人のクラスを卒業させてから、青年が2年のときに先生が担任になった。

なんやかんやと言い合っている3人を前に黙りこくっている青年は矢も盾もたまらず先生の方を見やった。クサヤを手づかみして悠然として日本酒をたしなんでいる。3人のコントのような会話に合いの手を入れるように大きく笑って見せて、また何事もなかったように酒を飲み、クサヤをつまみ、最後にはその場に倒れるように眠ってしまう。

先生はとかく風変りだった。

車を持たないこともその一つだが、当時はカメラが好きでライカを集めていた。もちろん写真も撮った。しかし、先生の撮るのはみんなピンボケだった。ピンボケ写真に妙なこだわりがあって何枚かの傑作を見せてもらったが、生徒たちはどこが素晴らしいか全く理解できなかった。

先生の授業はとにかく脱線が多かった。たとえば植物群生の話をしているといつの間にか蝶の話になる。写真を撮りに山に入って珍しい蝶を追いかけているうちに迷い込んで、奥沢でひと晩明かしたとか、野イチゴから酒を造ったがその酒がとびきりうまくて近所の公園でホームレスと一緒に飲んだとか、熊とあだ名のついたその風貌からハードボイルドを気取るところがあって、その話はいつも自慢に聞こえた。それでいてからきしの照れ屋だから始末に負えない。

ところで、脱線ばかりの授業であっても、学年末で教科書をやり残すようなことはなかった。どこでどう帳尻を合わすのか、狐につままれたようだった。やはり並大抵の教師ではない。

あるとき、中庭で先生が焚火をしているから近づいてみると、先週の授業のとき自習にして生徒にやらせたテストを採点もせずに燃やしていた。唖然としたが見て見ぬふりをしていると、先生は少しも悪びれたふうもなく「前の晩の飲み過ぎてなあ、授業する気になれなかったもんでなあ、お前らのやったのが燃えてるぞ、あはははっ」と言ってまた答案をくべる。焔はたちまち大きくなって生徒の苦心が灰となって舞い上がっていった。

はしなくも甦った先生の素顔、いまの雰囲気と重なって青年の心には吐き出せないヘドロが吐き気を伴って淀んでいた。
 
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