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弱いまま強くなるために(15)
2015/5/9 塾長ブログより
 

傷つきやすい青年は、あの男の方へ向かって笑みをこぼした。愛想笑いが思わず出た。青年からしてみれば、まさかあの男がいるとは思ってもみなかった。一年間召使のように仕えた男を前にして、それは思わず出た自嘲気味な笑いでもあった。

あの入学式の日のことが鮮明に思い出されたのが奇妙だった。まだ10年ほど前の出来事にすぎなかったが、どうでもよい遠い昔のこととなっていた。入部したその日にあんな酷い目に遭いながらも、陸上部をやめなかった。先輩が怖くてやめられなかったのではない。何発も殴られたが、それほど傷ついたわけではなかった。身体的な暴力は意外に心の傷にならなかった。

あの男、根は小心なのかもしれない。こんな思いが湧いたのを青年は自分でも驚いている。そして、自分を許すようにあの男を許している自分がいた。

はじめて先生の家を訪問した時も、あの男がいたように思われる。少しずつ記憶の糸口が見えてきた。百姓の汚れた靴もゴッホの手にかかれば魅惑的に見えてしまう。芸術には神秘の力が宿っている。同じようなことが自然にも言えるのではないか。里山の自然に囲まれたここにも神秘が宿っている。嫌な記憶も魅惑に変えてしまう何かがあるように思えてならない。

あの男の魚眼レンズのような目は当時と少しも変わっていない。

入学式の次の日から練習が始まった。球技の部活では一年生は玉拾いと相場が決まっていた。グランドを共有している野球部も膝に両手をあて腰を曲げた1年生が一列に並んで威勢のいい声を上げていた。陸上部だけは1年生であっても分け隔てなく、ウォーミングアップからすべてのメニューを先輩たち一緒にこなした。

あの男、何事もなかったようにあっけらかんとしている。

あの時もそうだった。まだ昨日のことなのに悪びれる風もなく近づいてきて、あれやこれや言ってきた。体操の仕方、練習の仕方、フォームのチェック、終わりのグランド整備の仕方、事あるごとに声をかけて、自分でやって見せては教えてくれた。

はじめての練習を終えると入学式の日に因縁をつけ暴力沙汰を起こしたチンピラは青年の主人になった。青年はその男のお抱えの召使いになったのだ。幕内力士に付き人がつくように、3年生には1人の1年生が召使いとして仕えた。1年生は3年生の身の周りの世話から、使いパシリ、極めつけは、毎週土曜日の弁当の献上であった。1年生は自分用と先輩用の弁当の二つを持参した。その代わり、練習で汚れたジャージを賜った。洗って月曜日に返納した。

当時は中学生は丸刈りだった。しかし、その坊主頭にポマードをつけてテカテカに固めるのが流行っていた。その男もポマードで無理矢理なでつけていたが、頭の形がいびつだった。いびつな坊主頭にギョロついて落ち着かない目をして、田舎の不良のなかにあっても、決して見栄えのいい方ではなかった。

青年は、文句ひとつ言わずに言いなりになった。人のいい少年は、その男からかわいがられた。たまに練習の後ジュースを奢ってくれた。成人してからも体育会系の人たちのあの雰囲気になじめなかった青年であった。が、いまこうして中学のときのことを半ば懐かしく思い出している自分が不思議だった。

あの男は、体育の教師にしては貧相な体つきをしていた。身長もそれほどあるわけでなく小柄な部類に入った。

青年は体育教師の正面を避けて斜向かいに腰かけた。さっそく名前を呼び捨てにされ、酒を盛られた。クサヤも食べるように催促された。

「こいつは、酒のつまみはクサヤが一番だと言って譲らないんだよ、あはははっ」

先生はすでに顔が真っ赤だ。先生は思わず鼻を覆いたくなるようなにおいも意に介さないように、手づかみでクサヤを食べていた。クサヤのにおいを気にして食べるのを躊躇していたら、その体育教師は青年に向かって語り始めた。すでにかなり酔っている。

「鼻はバカではない。ものごとがよく分かっている。においを嗅いで大丈夫だとわかると鼻はバカになる。鼻は自分がバカになって味覚に譲る。身の処し方を心得ているのだなあ。早く食べろ」

体育教師は大いに飲んで必ずしも健康そうとは見えない肉体を謳歌している。

「こいつ、脳みそが筋肉のわりには難しいことをいうなあ、あはははっ」
と、先生が横やりを入れる。

「先生、脳が身体化してしているといってくださいよ」

「おお、お前らは偉いよ。生徒の脳ではなくて身体にかかわっているからなあ、そこいら辺の知識人よりよっぼど偉い、あはははっ」

車が止まった。また誰か来た。次から次へ人が訪れて、この前の晩の再来のような大騒ぎになるのではないのか、青年は嫌な予感を覚えた。
 
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