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弱いまま強くなるために(14)
2015/5/8 塾長ブログより
 

傷つきやすい青年は、先生の家に行って以来、タガの外れた呆けた時間が過ぎていった。

よく分からなかった。いままでのような不安ではなかった。不安には違いないが、よく分からない。心臓が高鳴って落ち着かない。たが、焦点がさだまらない現代絵画を見ているときのように、自分と絵との関係を結ぶことができずに浮遊している、美術館で不安に襲われるときのあの感じに似ていた。

が、明らかに違うのは、得体の知れないものが搦め手の通路から間断なく不安の顔を出していた。覆面に覆われたその顔は、緊張が緩んでかえって緊張しているような顔にちがいなかった。ひょっとしたら、同じ病が別の仕方でぶり返したのかもしれない。そう思うと少し安心した。

ともあれ、青年は初めての感覚に出会っていた。

あの晩のこと…先生の家に遊びに行ってゆったりとした午後を満喫した、そのあとの出来事。大騒ぎが起こった。次から次へと人が訪れて、先生の家は一変した。

ところが、その晩のことを思い出せないでいる。次の晩に見た夢は鮮明に覚えているのに思い出せない。夢は覚えているのに現実に起こったことを忘れている。たしかに先生の家から戻ってきたばかりの頃は覚えていた。目覚めた直前は覚えていたが時間とともに忘れ去ってしまった、そんな夢がある。

まさに夢と現実が入れ替わった呆然自失した時間が流れていた。

麻薬はやったことはないが、麻薬性にのめり込むのは二度目を経験してからだと聞いたことがある。最初の感覚はほとんど記憶にないらしい。青年には「先生の家」そのものが麻薬の効き目と近しい関係にあるように思われた。

しばらくして、青年は二度目の訪問を果たした。躊躇しないわけがなかった。何度かのためらい傷を経て刃先を喉元に突き刺す、そんな覚悟で行った。そこまでして惹きつける何かがあったのは確かである。二度目に行ったときのことのことはもちろん覚えている。

奥さんに迎えに来てもらって先生の家に着くと、何とも言えない臭いがする。汲み取り式トイレのタンクをホースで吸い上げた時、そのバキュームカーの煙突から漂ってくるあの匂いだ。「先生の家はそうか!」と思い違いをしたぐらいだから、かなり強烈だった。

クサヤを焼いていていた。先生ともう一人の男性が庭のバーベキュー用に設えられたコンロに網を掛けてクサヤを焼いていた。初秋のさわやか風があの臭いにおいを運んできたのだった。

西日に照らされて二人は、すでにクサヤをつまみに一升瓶で酒を酌み交わしていた。もう一人の男性はやはり先生の教え子の体育教師だった。実は青年の中学の時の陸上部の2つ上の先輩であった。すぐに分かった。向こうも分かったらしく薄笑いを浮かべて小招きした。

青年は中学の入学式の日のことを咄嗟に思い出した。何も知らない新入生は足の速いだけが取り柄だったので、すぐさま陸上部の部室へ赴いた。陸上部の部室は古びた山小屋のような木造の建物だった。アジトと言った方がふさわしかった。不良生徒の巣窟としてグランドの隅を陣取っていた。

はたして青年はいわれのない暴力を受けることになった。部室で入部の手続きをしていると、薄暗い部室の引き戸が開いて明るい光が差し込んだ。目のぎょろっとした男が入ってきた。彼は部屋を見回して新入生を確認すると、手先を振って外へ出るように指図した。周りの先輩たちに促されて右も左も分からない新入生は外へ出ると部室の裏へ連れて行かれた。

彼に何発も殴られた。殴るなりの言い分があった。難癖としか言いようのない理由だった。

「俺と会ったのを覚えているか、いまさっき、俺とすれ違ったよな、オボエテイルヨナ」

「はい」

「陸上部の先輩の、オレに、アイサツしなかっただろう」

「はい」

「次から気をつけろよ、陸上部の先輩と会ったら、直立不動で挨拶するのが仕来りだ。今日はこれで許してやるが、次はこんなものでは済まないからな」

たしかに先輩とすれ違った。が、たしか、その時は陸上部に入る前のことだった。入部する前だから、まだ陸上部の先輩ではない。そうではないのか。先輩であるのはおろか、顔も知らない名前も知らない中学生とすれ違った。ただそれだけのことで何発も殴られた。何も知らないで陸上部に飛び込んだ新入生は目を泣き腫らしながら、この不条理に耐えていたのだった。

その男が目の前でクサヤを食って酒を飲んで、その時と同じように手先を振って青年を招いていた。
 
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