ホーム >塾長ブログ >小豆島愚放塾 > 塾生募集 >弱いまま強くなるために(13)

 

弱いまま強くなるために(13)
2015/5/7 塾長ブログより
 
傷つきやすい青年は、結局先生の家に一泊した。その夜はたまたま知人やら教え子やらが大勢見えて大宴会になった。別世界の登場人物たちに出会ったような印象があった。またの来訪を約束して戻ってきた。

先生の家での出来事はシャワーのような記憶として残っている。

何があったわけではない。何もない。過激で過剰で危険な人々を片隅から垣間見ただけのことであった。先生と奥さんの自由でのんきな優しさに触れ、里山の半ば乱れながら変奏していくような自然に触れたそれだけのことだった。その気ままなシャワーを浴びたのである。心のタガが外れて全身に張り巡らされた紐がほどけていくような感じと、夾雑物の混じった汚水がどっと流れ込んでくる感じの、入り混じった馴染みのない感覚に戸惑っていた。

帰ってきたその晩、青年は夢を見た。夜中に目が覚めて、いま見たばかりの夢の場面を思い出した。

宴会の席。みんな飲み食いして、賑やかにやっているが、見知らぬ人ばかりである。何の会なのだろう。外人もいる。結構広い。ビヤホールのような高い天井に、たくさんのテーブルに大勢の人が着いて歓談している。青年は誰と話をするというのでもなく、そわそわしている。突然、向こう側の席の方から、歌声が聞こえてきた。会場内が静かになった。歌のほうへ視線を向けると、声の主は僕の幼馴染である。彼が見事な英語で「アメージング グレイス」を歌っている。彼の歌唱ぶりにいつこんなに英語が堪能になったのだろうと思った。歌い終わると、拍手の嵐が沸き起こる。周りの外人からも喝采の声が飛ぶ。落ち着き払った彼の表情からは場慣れした自信が満ち溢れている。。賛美と賛嘆の渦中で、青年は真下にぽっかり空いた穴へ漂うようにゆっくり落ちていった。宙に浮かんでいるようでもある。まばゆい明るさが遠のいていく。自分自身が音もなく暗いほうへ身を沈めていった。

夢の主人公は、小さいときによく遊んだ幼馴染である。幼少の無邪気な経験をともにして生涯にわたって心を通わせる友になったとしても何の不思議もない。しかし、そうはならなった。というのも、僕たちは小さいときから、絶えず比べられ競わされてきたからである。ただし、手痛い傷を負ったのは青年である。幼馴染は屈託なく育った。彼の態度にはいつも自信が漲っていた。

昔のことが繰り出されてくる。

幼馴染の父親は大工であった。近所では「しゅういっちゃん」と呼ばれていた。名前が修一であったからだ。「しゅういっちゃんにも困ったもんだよ」という祖母の言葉をよく耳にした。その言葉通りのだらしのない酒飲みで、酒の席での不行跡には事欠かなかったが、大工としては確かな腕前を持っていた。

青年の家と幼馴染の家とは親戚づきあいのように親しくしていたから、正月などは朝から来ては晩までしまりなく飲んでいた。当時の正月は、元旦から引きも切らさず年始参りの客があり、青年の家も嫡男家らしく親戚の人たちで大賑わいとなった。「しゅんいっちゃん」の酒びたり、それは正月に限らず、行事ごとの恒例行事のようなものであった。しかも自分の息子の自慢話をするのが酒癖であった。ひとの家に上がり込んで酒を飲んではその家族を前に自分の息子の自慢をするのも礼節をわきまえない話だが、「しゅういっちゃん」の場合、困ったことに、それだけで終わらないから、酒の上でのいざこざが絶えなかったのだ。酒飲み特有の冗談めかした口吻でその家の子供と引き比べては自分の息子を自慢したのだった。

ある年の正月のことが浮かんだ。

コタツの中で拳を握り締めるのがやっとだった。ひとを馬鹿にしたような笑みを浮かべた酔っぱらいの激励をうつむいてただ聞いていた。家族は「しゅんいっちゃん」の狼藉をなすがままに許した。聞かぬふうを決め込んだ。あとから思えば、おそらく酒の席のことだ、飲んだくれを相手にするなということだったのだろう。

そんな家族も後では口をそろえて「負けるな、見返してやれ」という。年端もゆかぬ子供は、素直な心そのままに聞いた。しかし重荷だった。家族はその場で敵を取ってくれなかったかわりに、江戸の敵は長崎で討てとでもいうように、酒の上での仇討を幼い心に担わせたのだ。

遠い日の記憶が苦痛を伴って流れ込んできた。しかし青年には、いつもの糸口がぷつんと切れたように感じた。いつものように出口のないループに入ることはなかった。

「しょうがくせいになるから、そんなんじゃあ、みぐせーよ(恥ずかしいよ)、まけちょ。(負けるな)」

床に就くと、母の言葉が呪文のように頭の中を駆け巡った。青年をずっと囚われの身にしてきたその言葉に対しても、ほんの少しだが、すっきりした心地がしていた。とはいえ、薄気味悪く貼りついている濡れ衣が心から取れたわけではなかった。

たしかに母は青年の将来が不安だった。幼少年期、母の呪文が耳に貼り付いた。そして成人したいまでも、自分ではない何かになろうと自分を急き立てては、何者かに追われるように恥ずかしい自分をひた隠して生きてきた。

ひょっとしたら、これは母の本心から出た言葉ではないのかもしれない。青年にふいと疑問が兆した。それもつかの間、あの薄気味悪いべったりした嫌な感じに覆われて夜の明けるころ、ふたたび眠りに落ちた。
 
弱いまま強くなるために(12)弱いまま強くなるために(14)
 

ホーム >塾長ブログ >小豆島愚放塾 > 塾生募集 >弱いまま強くなるために(13)