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弱いまま強くなるために(8)
2015/5/1 塾長ブログより
 

傷つきやすい青年は、いまでこそ記憶の中のあの白髪の老婆を冷静に受け止めることができるが、しかし、なぜあれほどあの老婆のことをあれほど哀れに感じたのか、いまとなってはよく分からない。はっきりしていることは、そこからはやはり少年時代の思いが紡ぎだされてくるのである。

東北地方の山の奥地で発見されたというのはでっち上げられた嘘だとして、じゃあ、なぜあんなみじめなことをしているのか・・・幼馴染の交わす賑やかな声を遠くに聞きながら、たしか青年はそのとき母に纏わるおぞましい夢を思い出していたのだった。

闇の海に小さな船が浮かんでいる。その艫では母ともう一人の女が労役させられている。進行とは後ろ向きに身を乗り出して顔を海水に潜らせぶくぶく息を吐きながら舟を進めている、そんな母の無残な姿が頭の中に映るのを強引に打ち消そうとしていた。その夢を思い出したのは、たしかその時が初めてではなかった。

荒唐無稽の夢と片付けてしまいたかった。しかし、夢のシーンはフラッシュバックとなってたびたび幼い心を責め立てた。わけのわからないままにいつも母に済まないと感じていた。

そして、なぜそのような夢を見たのか、そして、なぜいまなお鮮明に覚えているのか、そして、なぜいまなお切ない思いに駆られるのか、そして、もうその母はいない。切なくて悲しくてやりきれない。青年は記憶から脱け出てその罪悪感と後悔との入り混じった感情にいまさらながらにうち萎れてしまった。

青年はふたたび当時のことを思い出した。

親戚に寄って帰るからと嘘をついてバスに乗る幼馴染と別れた。午後も3時を過ぎると一段と吹きつける寒風が身に沁みる。しかし、家までの長い道のりを歩くことにした。ごった返していた騒ぎも農道から国道へ出て嘘のように静かになった。田んぼの間に途切れ途切れに並んでいる旧い商店の軒先に人影はなく、ダンプの轟音が北風に巻き取られるようにして乾いた空に遠く虚しく響き渡った。冬至の頃に比べればかなり日は長くなったものの、太陽はすでに西に傾いていた。冬の陽が晴れ渡った空に薄く懸かっている。風の通り道のような国道を吹き抜ける冷たいからっ風に鞭打たれてひたすら歩き通した。涙があふれて仕方がなかった。風に吹きつけられて涙は流れる間もなく目尻のところにカサカサに乾いた跡を残した。

家の門に着いた時は、おそらく5時を回って、すでにあたりは暗くなっていた。家には灯りがついていて小さくミシンの音も聞こえた。小さいな鞄から今川焼きの入った紙袋を取り出すと、自身に元気をつけて嬉しさを装った。
「ただいまあー」
勢いよく玄関の戸を開けて靴を脱ぐと一目散に母のところへ駆け上がった。
そして、はしゃぐように
「いまがわやきーだよっ、うまいよー」
嬉しそうに今川焼きの袋を母に差し出すと、母は仕事の手を休めて包むようなまなざしで息子を眺めて言った。
「ほうずら、行ってよかっとうじゃんか」

母は、たのしそうに帰ってきた息子を見て、ほっとひと安心したのだった。

「うん、たのしかったよ、ほら、うまいよー、はやく食べてみろし」
今川焼きを口に頬張ってみせた。しかし母に千円もらって使ったお金は行きのバス代と見世物小屋と今川焼きの代金けだった。財布には金のほとんどが残っていた。

母の笑う顔を見て一緒に笑って、心の雲が吹っ切れたようにしゃべり始めた。「インチキ」和製ルーレートをうまく操るオヤジの隠し技の話や、コルク栓の空気銃を撃つのが下手で景品に当てるどころか、その手前でいつもコルクが落ちてしまう幼馴染の話を面白おかしく作り替えては、母を笑わせた。もちろん、見世物小屋の話はしなかった。

話がひと段落つくと、家の外はもう真っ暗になっていた。
「桂は、どこへ行っとうずらか」
と母は妹の帰りを心配して一言いうと、ミシンから離れて台所へ立った。 

高校生の時だったか、青年がこのときの事を母に話すと母もしっかり覚えていた。母は、青年が「十日市」からはしゃいで帰ってきたときの様子を懐かしそうに話してくれた。青年が、わざとはしゃいだ「フリ」をしたんだ、演技だったんだと言い張っても、子供にそんな真似ができるものかと、母は決して聞き入れてくれなかった。

青年が演技だと自覚して演技をしたのはおそらくこの時が初めてであった。
 
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