ホーム >塾長ブログ >小豆島愚放塾 > 塾生募集 >弱いまま強くなるために(6)

 

弱いまま強くなるために(6)
2015/4/29 塾長ブログより
 

傷つきやすい青年は幼いころに母の傍に居たくてもいられなかった憾みをずっと抱いていた。

青年は結婚五年目でようやく生まれた跡取り息子だった。青年が生まれ育った田舎では、子供を授からない嫁は使い物にならないという烙印を平然と押すような空気が漂っていた。家族ばかりではなく親類までも近所の目を気にして、母に有形無形のプレッシャーをかける。青年はその時の様子をのちに母から聞いて、母の辛さを自分とだぶらせて震えた。

そうした経緯を経てようやく生まれたわが子である。母の安堵は思って余るものがある。その喜びも計り知れない。しかし、母は喜びの沸き立つのを抑えてひたすら耐えたのではないか。なぜか知らない。青年は成長してからずっとその思いが心にくすぶっていた。

しかし、青年がそう思うのも全く根拠がないわけではない。

青年は、祖母からしてもようやく授かった嫡子であった。祖母は母の気持ちなど気にかけることもなく初孫を独り占めにした。寒空であろうが、乳飲み子を連れまわして近所の家に行っては自慢をした。祖母の前では何も言えない父親に相談もできず、母は人知れず気をもんだにちがいない。ものごころつくようになって思い出すのは、青年の母恋の気持ちに反して祖母の顔ばかりである。細面の上品な顔がくすんだ色合いを帯びて浮かんでくる。いくら記憶の箱をつつきまわしても母と二人だけでいた場面は出てこない。

その頃だった。よく同じ夢を見た。青年はいまでもその夢の内容をはっきり思い出すことができる。

狭い真っ暗い穴をひたすらもぐってやっと地上に顔を出すと当時近所を走っていたちんちん電車の線路の脇だった。すぐそこに小さな駅舎が見える。そしていま通り過ぎて行ったばかりの電車の後ろ姿が見える。青年は線路に耳を当て電車の音を聞いていた。すると、あたりが一面の花畑に変わる。毒々しいほど鮮やかに色とりどりの花に囲まれて青年は一寸法師ほどになっている。この美しい世界にただ一人いることの恐ろしさ、広い空が一点の雲もなく真っ青に広がっていることの恐ろしさに、呆けたように立ち尽くしている。そして、真っ青な空がいきなり落ちてくるのである。

青年は汗ぐっしょりになって目が覚める。恐怖で心臓が高鳴りわけのわからぬままにあたりを見回す。寝ぼけ眼の真っ暗いなかから高い天井がうっすら見えてくる。遠くに小さな布団に小豆ほどの人間の顔が見える。母と父が一緒に寝ている。隣の部屋である。自分がどこにいるかわからないまま気を失うように夜の底へまた落ちた。本当に見た夢なのかどうかも分からないが、何度となく見た記憶がある。そして、いまだにそのとき自分がどこに寝ていたのか、分からないままである。

青年の願いは大好きな母の期待に応えることであった。とにかく母を喜ばすことであった。しかし、ことごとく母の期待を裏切った。母は悲しそう顔をして目を逸らす。母のほんの小さな素振りが小さな心を大きく傷つけた。母の望むような男らしく元気のいい、子供にはなれなかった。それでも青年は母の喜ぶ顔を見たい一心で期待に沿った子供を演じようとした。母にいつも見ていてほしかったからだ。

青年はある日のことを思い出した。記憶の箱を突いても出てこなかった小さい時の母と一緒の記憶がふとしてよみがえってきた。たしかに母と一緒だった。切ない記憶だった。
 
弱いまま強くなるために(5)弱いまま強くなるために(7)
 
ホーム >塾長ブログ >小豆島愚放塾 > 塾生募集 >弱いまま強くなるために(6)