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弱いまま強くなるために(4)
2015/4/27 塾長ブログより
 
傷つきやすい青年は、小さいころから、朝出かける前にご飯を食べた後お茶を二杯飲む習慣があった。一杯飲むと必ず祖母が彼の茶碗に、「朝茶はその日の難逃れ」という言葉を添えて、お茶を注いでくれた。青年は一人暮らしをするようになってからでも、朝お茶を二杯飲まずには出かけることができなくなっていた。

それだけではない。

青年の祖母は信心深く、いまでこそ迷信と一笑に付されるようなことまでが、日々の営みに反映されていた。もちろん青年の生まれた田舎では、正月元旦のお神酒をいただくことから始まって、その一年の年中行事がどこの家でもふつうに行われていた。しかし、青年の家はその中でも特別だった。迷信めいた些細な事でも決しておろそかにせず、古式ゆかしく厳格であった。何かといえば神のお告げのように口を出す祖母の指図に家族は黙って従っていた。

青年は成人してからも祖母の教えをひたすら守っていた。就職してからも、服を卸すときも日柄を見てからでないと、買ってすぐ着るようなことはできなかった。祖母が年の巡りを調べてすべての指針としたからである。

分別がついてそれらがすべて迷信であると分かっていながらも、青年はその禁制を解くことができなかった。なぜと思われるかもしれないが、青年にとってはなす術がなかったのだ。幼いころからの身に染みついた習慣の牢獄につながれいつ終わるともしれない刑期にひたすら服していただけであった。

なるほど青年は傍目からは「おばあちゃん子」と映るぐらい祖母にかわいがられた。実際その通りで、幼児のころから祖母の布団に入って寝たり、祖母と一緒に風呂に入ったりと、いつも祖母のそばから離れなかった。そして、青年にとってその祖母のコトバは金科玉条のごとく空っぽの心に刻みつけられたのである。

けれども、幼心は大人が考えているほど単純ではない。想像を絶するような複雑な心境を宿していることがある。青年もそんな子供のひとりであった。

祖母と母が不仲であったため、青年は母を守る一心で祖母の気に入られようとした。青年は自ら率先して「おばあちゃん子」を演じたのである。子供の思いは飛躍する。母がいじめられて死んでしまったらどうしよう。その切ない妄想が子供を駆り立てる。祖母の機嫌を気遣って相当無理をしたのだろう。祖母の顔色ひとつで心が踊り狂うようになってしまった。普段は優しく上品な表情を浮かべる祖母であっても、母と言い争った時の祖母の細面が般若の面に見えて全身から血の気が引いた。青年はそのまま棒立ちになって石と化した。それでも青年はどこまでも優しかった。祖母に隠れるようにして、母の顔を伺い、母の気持ちを忖度する。そして、青年は母の一番喜ぶことをして見せたのだった。

青年は小さい頃から家族の調整役に回り、祖母の顔色を伺い、母の顔色を見ては、その微妙な変化を指標としてふるまった。そうして育っていくうちに人の顔色ばかりを伺うちっぽけな人間のどうにもやりきれない癖をまとっていた。いつのまにか相手の表情のちょっとした変化に敏感になって、相手の表情の蔭りをも察知する繊細な感受性を持て余しながら、一時も心の休まる時がないくらい、いつもびくびくおどおどする、そんな悲しい人間に成長していった。

小学校に入るころには、すでに青年は人の顔色によって根なし草のように人間関係の、その波間を漂うだけの空虚な存在と化していた。

皮肉にも青年には友達がいっぱいできた。当然である。人の顔色をいち早く察知し、相手の意に添わないことは避け、相手の意向通りにふるまうのだから、嫌われるはずはない。お人好しで相手の言いなりになって決して相手の嫌なことは言わない。そのうえ、口下手で動作も緩慢。人からはそう見られて、半分バカにされながら、人のいい奴、どうでもいい奴、都合のいい奴としてみんなから好かれた。その一方、青年は人知れず傷つき、いつしかみんなと一緒にいることに耐えられなくなっていく。
 
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