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期待しないで見守ること、その信頼がバネになる
2015/4/3 塾長ブログより
 
工業高校の現状
 
数年前、都立のある工業高校に産休代替教員として勤務していたときのことである。これからの教育にとってヒントになるような経験を得た。

いまの工業高校は、花形であったその昔とガラリ様変わりしてしまった感が否めない。かつてのような活気は見られない。時流に逆らっているようにも感じられるが、工業高校の現況は希望者が少なく偏差値で格付けされてまったく分が悪い。定員割れを辛うじて防ぐのがやっとだ。

しかし、工業高卒生の就職率はなお高いと聞く。とりわけ東北大震災以降復興の担い手である土木科卒生は引く手あまたである。

そんな就職状況を知ってか知らずか、相変わらず意に染まないといった顔で入学してくる生徒は多い。ご多分に漏れず彼らは学習意欲に乏しい。元気はあるが、甘やかされたエネルギーを放散しているにすぎず、バイタリティーというには遠く及ばない。あきらめる、らくする、ごまかす、その様子を見ていると授業も休み時間も変わることなく能天気に元気である。

各中学校で担任が持て余し、スポイルされた札付きの4番バッターがこぞって入学してくる。この甘ったれの荒くれどもは、もちろんここでも担任を手こずらせる生徒たちで、学年の2割ほどはいる。5割は中間層。環境次第でよきにもあしきにもどちらにも靡く生徒たち、そして3割程度がまじめな生徒たちである。そして、卒業するまでに3割程度がやめていく。
 
産休代替教員として悪戦苦闘!
 
産休代替教員の立場は微妙である。当然ながら責務の重くかからないところに配置されるが、気楽な稼業というわけでもない。相応の責任は負わなければならない。とはいえ、専任の教師に比べて自由な時間が多く、僕は時間の許す限り、まずはその甘ったれの荒くれ生徒たちと腹を割って話すことを試みた。むろん、その荒くれどもの陰に隠れて、自己表現をしないごく普通の生徒に、目配りすることを忘れたわけではなかったが、とにかく荒くれどもの荒唐無稽な元気さによって授業が妨害される、その授業が成立しない原因を解決することが焦眉の急だったのである。

僕は彼らにできるだけ声をかけ、できるだけコミュニケーションをとろうと試みた。僕の穏やかな言葉にも教師と生徒の一線を越えて激しい口調で反抗する生徒。しかし、僕はできるだけ彼らの言葉に耳を傾けた。彼らの言葉は、幼い子供のそれに近かった。

「俺は大人を信用してねぇーんだよ。おめーもそうだ」「うるせー、うぜーなあ」「国語なんて勉強する必要あるのかよ、日本語だろっ?」「寝てるんだよ、邪魔するなってんだ!」「授業がつまんねーから、しゃべっているじゃねーか」「この学校は楽しいよ~楽ちんだからさあ」「単位落とさなきゃあ、いいんだろうっ!」
 
荒くれ坊やたちの意外な本音
 
ここまで読んできてほとんどの人は、僕は生徒から完全になめられている教師だと思ったにちがいない。しかし、こちらが心を開いて辛抱強く接していると、いきがっていたやんちゃな生徒たちも、次第に心を開いてくる。もちろん、すべてがそうなるのではないが、そのなかの何人かは僕の話に乗ってくる。そして何人かはしばしば国語科教科室を訪ねてきた。

国語科教科室にいるときの彼らは、いつものすさんだ態度が嘘のように、素直にはしゃいでいる。しかも礼儀正しい。敬語も使える。授業中のあの生徒と思えない。

同じ目線で付き合おうとすれば、逆に向こうがこちらの年齢を気遣ってくれたりする。彼らに気遣いや弁えがないのではないのだ。防御の構えを取らざる得ないから、いきがって見せるしかないのである。

彼らの本心からの声は正直、意外であった。

「先生、俺期待されるとダメなんだよ」「先生、このままで大人になれるかな。新しいことを勉強するの大っ嫌いなんだ。やってできないのが怖いんだよ」「頑張ってできないより、頑張らないでダメのほうがまだいいよ」「そりゃあ、人目は気になるよ。でも、それに縛られるの嫌で反発するんだよ」「自信なんてあるわけないだろう、授業全く分からねー。俺って頭悪いと思うよ」

彼らはその見てくれとは裏腹に、気が弱く小心者。自信がなく自己評価が低い。だからこそ、空威張りをしていきがっている。荒くれ者のキャラで通さないと存在の居場所が確保できないのだ。だが、キャラを演じようとすればするほど、本心と遊離してしまって不安だけが募ってくる。

実は、彼らの内心は、ものすごくさびしがり屋である。

話していて一番思ったのは、彼らの孤独感がひしひしと伝わってきたこと。少なからず衝撃を覚えた。心から話せる人が周りにいない。友達が多そうに見えても、本心を語り合う仲間はいない。周りの大人からは見放されていると感じて距離を取り、大人を端から信じていないという態度をとる。しかし、それはさびしさの裏返しで、反抗している自分を受け入れてほしい、その願いが裏には込められている。素直に甘えたい気持ちの彼らなりの拙い表現ではないか、僕にはそう思えてならない。
 
不登校生との共通点
 
学校へ行けない生徒の心理と重なるように思われる。一概には言えないが、不登校に悩んでいる生徒は総じて内向的な性格にちがいない。学校へ行っても、自己表現が下手で周囲に合わせて、自分の気持ちを抑えてしまう。そして、こらえきれず、ついには学校へ行けなくなる。

一方、この荒くれ者たちの性格や行動は、一見、不登校生徒のそれとは全く逆に見える。しかし、心の襞にまで分け入ってみると、上述した通り、その根元には同じような心理が横たわっている。

彼らや彼女らの心を支えるには、こちらから心を開いて相手が心を開くまで待ち、じっくり話を聞いてあげること、その基本中の基本を抑えたうえで、彼らや彼女らの心に寄り添い、一緒に悩みを分かち合いながら、なにも期待しないでただただ見守ってあげること、それがなによりも彼らや彼女らの孤独感と寂しさを癒す処方箋ではないだろうか。

仲間から隔絶していると思い、自分の心に嘘をついて繕っている自己嫌悪、親や教師といった身近な大人たちから、信頼されていないという寂しい気持ち、責任が強い反面、自信がなく自己評価が低いから、なかなか新しいことに挑戦できない心理等…どうにかしてあげたいと思うのは身近な大人の率直な気持ちだろう。しかし、それはアドバイスを送ったり、何かをしてあげたりすることではない。

何も期待せずにひたすら見守ることである。それが彼らや彼女らの心とつながり、彼らや彼女らの心の拠り所となる最良の方法のように思えるが、どうだろうか。

心の絆や拠り所が見つかりさえすれば、彼らや彼女たちは信頼というバネをエネルギーとして、自らの道をきっと切り開いていくにちがいない。僕はそう確信している。
 
参考記事:愚放塾の教育論
→教師の言葉の影響力「生きることは楽しいと言い切るゆとりのある人間が我々の中に何人いるだろう」
→教師の力とは?「教育は綱渡り、教師は魔術師である」
→些細なことを軽視して学級崩壊を経験:「教師の皆さん、些細なことを大切に!」
→ダメ教師奮闘記「塾長インタビューQ13:先生をしていた時に、なにか思い出があったら教えて下さい」
→厳しい昨今の教育現場、教師の生き方を提案します:「教師の課題を解決する、演劇教育コミュニケーション・メソッド」
→支援高校で得た貴重な学び聞く、待つ、引き出す(1)
→本人の歩み方を応援する「大学不登校、休学生の復帰・復学への道筋を考える」
 
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