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「成功体験」ではなく、「失敗体験」だ!
2015/2/3 塾長ブログより
 
「成功体験」再考!
 

ずいぶん昔のことになる。

教員採用試験の面接のとき、次のように返したことを覚えている。

「教育の世界は必ず努力が報われる世界でなければならない。教師は生徒に努力を促し、その努力が報われるような教育現場にしたい。生徒には成功体験をたくさんしてもらいたい」

ちょうどプロ野球の日本シリーズが終わった直後で近鉄が広島に負け、「悲運の名将」と呼ばれた近鉄の西本監督の「勝負の世界は努力だけでは勝てない」という談話を聞いて、そのときに感じたままを面接のときに答えたである。

改めて当時を振り返ってみると、たしかに気負いはあるものの、教師を目指す若者の初々しさが出て、内容的も悪くはない。手前みそながら、面接官も大きくうなづいていた姿が思い出される。

しかし、それから35年ほど時を経ていま、その言葉は僕の中ですっかり色あせてしまった。隔世の感がある。

ところが、僕のそうした思いとは裏腹に、成功体験という言葉、いまだによく耳にする。種々のセミナーをはじめ教育一般において、むしろ以前より盛んに使われている印象さえある。

たとえ小さな成功体験であっても、その積み重ねが自信を生み出す。成功体験によって、事に当たる姿勢が積極的になり、少々のことではあきらめない心をつくる等々・・。

それらの効果を否定するつもりは毛頭ないが、ありていに言うと、「成功体験」という言葉、いまの僕にとっては、嫌悪と似たような感じが差して、かつてのように心にうまく据わらない。
 
「成功体験」、この据わりの悪さは、どこからくるのだろうか?
 

現代という時代性にだろうか・・・誰もを成功、成功へと追い立てる、そんな圧迫を感じてか、あるいは、成功者を一種ヒーローに祭り上げる風潮、その浮薄さにうんざりしてか・・・しかし、正直、本当のところはよくはわからない。

10年ほど前だったか、NHKの放送に「プロジェクトX]という人気番組があったが、それを視た時も同様の感じに襲われ、エンディングで流れる中島みゆきの歌にある種の、気持ち悪ささえ覚えたのはたしかだ。

「プロジェクトX]と似たような番組は後を絶たない。とすれば、「成功」という言葉が、時勢の要所を射ぬいていることは間違いない。

だからこそ、感じる違和感なのかもしれない。

決して「成功体験」という言葉がいけないのではない。そうではなく、その言葉に塗り込められた見えない権力のようなものを、もしかして、僕は感じ取っているのかもしれない。

だからというわけではないが、僕はあえて「失敗の力」を主張する。もちろん、「成功体験」の対極を張ろうとしているわけでもない。

なるほど、こういう風に論を続けると、軽薄な展開と捉えられるだろうが、その弊を覚悟の上であえて言うのである。

たとえ軽薄者と見られようが、そういう外見の裏側に貼りついている、僕の人生という時間は揺るがないからである。

「失敗」、それは僕という存在を色濃く染め上げている言葉であり、もっと言えば、いまの僕は「失敗体験」によって「かたちづくられた」といっても過言ではないからである。
 
参考記事:自分を学ぶ
「『失敗体験』から『積極的な逃げ』そして『居場所』」
「塾長インタビューQ13:先生をしていた時に、なにか思い出があったら教えて下さい」
「生き方に迷っているあなたへ」
 
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