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「やるっきゃない」のトラウマ(2)
2015/4/6 塾長ブログより
 
「やるっきゃない」から僕の「トラウマ」が明らかになった!
 
「やるっきゃない」という言葉が嫌いな理由を探していくうちに、幼年期にまで辿りついた。もう50年以上も前になる。

嫌悪のもとになる言葉を探したが思い出せない。もちろん「やるっきゃない」ではない。「やるしかない」とも違うような気がする。「やるしかない」と同じ方向性を持つ方言だろうか。もしかしたら、それは言葉にもならず、言葉の輪郭だけを備えた感情なのかもしれない。たしか気持ちを急き立てるようなものにはちがいない。

あえて言葉にすれば、「こんなことしている場合じゃあない、はやく、はやく」のような感じである。

小学校のうちは、この急き立てらるような感情からなかなか逃れられなかった。僕は一人遊びが好きな子供だった。近所の子供たちのように元気に遊びまわる子供ではなかった。庭で蟻を見て一日過ごすこともあった。母はそんな僕の将来を案じた。

当時の男の子は、とくに田舎では、元気でやんちゃなのが通り相場で、男は男らしく、女は女らしくというのが当たり前だった。僕のように神経質で女々しい男の子は田舎では通らなかった。
 
母の顔色を伺いながら自分を責めた
 
母の不満が手に取るほど分かったが、母の期待に応えるのは幼い僕には荷が重すぎた。

学芸会、運動会、何かの行事があるたび、母は帰宅するなり機嫌が悪くなった。僕は途方に暮れて母の顔色を伺いながら無性に悲しくなった。わけもなく涙がこぼれた。

「そんなんじゃあ、みぐせーよ(恥ずかしいよ)」

床に就くと、母の言葉が呪文のように頭の中を駆け巡った。布団の中で孤独に苛まれながら恨んだ。もちろん母ではない。自分の不甲斐なさを責めたのだ。

「こんなことしている場合じゃない、はやく、はやく」

夜の底から急き立てられて、はっとはね起きたことも幾度となくあった。母は僕に人並みという世間のものさしをいつも当てた。幼友達と比べて「みぐせーよ」というのが口癖だった。いつでもどこでも僕には母の口癖がまとわりついていた。そして、いつも急き立てられていた。

「こんなことしている場合じゃあない、はやく、はやく」

自分ではない自分になろうとして急き立てられ「やるっきゃなかった」、そうしてへとへとに疲れ果てた。
 
自分ではない何者かになろうと必死にもがいた
 
幸いに成長するにつれてこの感情は次第に姿を消してその状況に巻き込まれることも少なくなっていった。

しかし、すっかり消えてしまったわけではないだろう。そのトラウマが姿を変え、成人しても相変わらず、僕は無意識のうちに自分を急き立てて、自分ではない自分を追い回していたように思える。世間の評価が気になって仕方がなかった。世間の求める(自分でない)自分になろうと躍起になった。そして、結局、何者にもなれなかった。もちろん、自分にもなれなかった。

そして、30歳を過ぎたころ、「やるっきゃない」という流行語に刺激され、無意識の底から嫌悪感だけが顔を出したのではないだろうか。

自分を忘れてりっぱな誰かになれるわけがなかった。そのことに気がつくまで、ずいぶんの歳月を要した。絶えず人と比べられ、人並みになることを求められた結果、自分をどこかに落としたまま大きくなった。そんな偽者が人生をしっかり歩んでいけるわけがなかったのだ。

「やるっきゃない」という言葉には僕の人生の裏側の歴史が刻まれていたのである。

今にして思えば、「やるっきゃない」に嫌悪を覚えたころから、僕は無意識に、あの無意識の力に抗っていたのではないだろうか。そして、新たな無意識が古い無意識に取って代わる前哨戦として「やるっきゃない」という言葉に突っかかったのかもしない。無意識という闇夜のなかで、闘いが繰り広げられていたのである。
 
「やるっきゃない」のトリセツ
 
改めて「やるっきゃない」という言葉と向かい合ってみる。「一緒にやろう」と急き立てる感じもあるが、そう捨てたものではない。人生には、理屈でこねくり回してもどうにもならないことがいくらでもある。「やるっきゃない」場面には「やるっきゃない」姿勢で臨むことも必要である。

もっとも、いくつかの但し書きがつくことは当然である。

・自分を置き去りにしないこと。

・人の価値基準をうのみにしないこと。

・他人と比べるのではなく、自分と比べる。

・結果ではなく、自分を信じる。

・みんなの前で言わずに、独り言のように使う。

この但し書きを踏まえたうえで、僕は「やるっきゃない」の解釈を刷新する。

「やるっきゃない」とは、考えを巡らせてにっちもさっちもいかなくなったときに「できるかできないかではなく、するかしないか」と決心を促す言葉である。
 


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