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ネガティブな気分とどう付き合うか?
2015/4/1 塾長ブログより
 
ネガティブな気分とおしゃれな会話
 
朝から小ぬか雨が降っている。細かい雨の滴が音を吸い取って外は静まり返っている。昨夜いささか酒を過ごして今朝は頭がぼんやりしてる。もっとも、のどかな春の雨は眠気を誘う。何もしないで過ごすのもいい。

しかしながら、そうもいってはいられない。自然にまかせて生きられるほどゆとりのある人はそういるものではない。仕事がある。気分で休むわけにはいかない。自由気ままに暮らしているように見える愚放塾でも状況は同じである。

ところで、気分によって行動が左右されることとは別に、気分そのものを楽しむことはとても大切なことではないだろうか。

今日の気分は沈んでいる。だからいっそのこと、暗色でまとめてシックないでたちで出かけてみるのもいい。気分に添った服装がおしゃれの基本である。フランス人ならそういうだろう。今日の僕のようにぼんやりしているときにはバッハの無伴奏曲のチェロの低音を静かに響かせながら仕事をするのもいい…いろいろ工夫を凝らして、その日の気分を楽しむことは生きていく基本でもある。

感情もそうだが、気分もむやみに抑え込まないほうがいい。とりわけネガティブな気分のときはそうである。気分を露わにして周りの人に不快な思いをさせるのはどうかとは思いながらも、うまく処理できるならできるだけ外に出したほうがいいに決まっている。
 
ネガティブな気分の気持ちになってみる
 
僕のよくやる方法として、気分と対話する。ある意味自己対話である。

今日の僕だったら、
「今日は何もやりたくないだろう?」
と、まず気分に問いかける。すると気分から
「うん、そうだね」
と、けだるい言葉が返ってくる。
「したくなければなにもしなくてもいいよ」
「そうだな、しないことにしようかな」
「いいよ」

それで終わりである。

「それって、いったい何の意味があるの?」…そう思われるかもしない。しかし、それだけで十分である。
 
ネガティブな気分が居場所を与えられた
 
気分と対話して、その気分を言葉にすることによって、暗然と抑圧してくるものに立ち向かわせる。「しなければいけない、さもないと…」という強制の声をはっきり聞き取り、その声に対して、何となく心に宿している気分をしっかりと立ち上がらせるのである。

心の中に気分の居場所をちゃんと作ってあげれば、気分は居住まいを直して心の中央にどっしりと腰を下ろすだろう。自らネガティブな気分の存在を進んで承認することで、暗黙に強制してくる声と対峙させる手立てを講じたというわけだ。

なんとなく心が晴れない等のネガティブな気分に包まれて仕方なく物事をしたところで作業ははかどらない。「しなければいけない、さもないと…」という声なき声とネガティブな気分が心の中でごちゃまぜになって、自分でもわけが分からないままにだらだらと時間を過ごすことになりかねない。そのうちに疲れてしまって、まったく違ったところから言い訳を持ってきて「今日はやめよう」と結局、はじめから気分に従ったと同じ結果をもたらすことにもなる。

たわいない自己対話であっても、それは気分を尊重することになる。もとより心の中の他人を尊重することでもある。そして、その対話によって、もうひとりの自分という他人、上から強制してくる声を浮かび上がらせる。その声に対しても毅然とした態度を取る事も必要である。そうすることで、たとえネガティブな気分でも押し殺すことなくその存在を認めながら、上からの押さえつける強制を取りなし、自分の責任でもって自由に事を運んでいくのである。
 
ネガティブな気分がポジティブになった
 
心の自然に従いながら、正論を盾に強制してくる義務意識を責任の名において引き受け、自由意思によって生きる術である。

先ほどあげたフランス風おしゃれ術なら、今日は気分がすぐれない、だから、思いっきりシックにおしゃれをして仕事をしよう。

「したくないのにしなければならないからする」から、「したくないけどその気分を楽しみながらする」へ華麗に転換するのである。

セシボン!
 
参考記事:心の操縦法
「思い通りにいかないときは『からだ』に聴いてみるといい。」
「風邪も心の病も治すものではない」
「大学休学生が復学するための『ナビゲーション・システム』」
「生き方に迷っているあなたへ」
 
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