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大学休学、不登校生よ、諸君は「与えられて開くのだ!」
2015/3/28 塾長ブログより
 
若者を育て上げるのが使命
 
僕にはひとつのビジョンがある。

数カ月前にその場に偶然に集まった若者たちの、当初はぐらつきやすく、自信のなさそうな顔つきをしていた彼らが、それぞれの個性の深みから組み尽くせないような魅力を湛えて、活発に議論し、そして、額に汗して農作業をし、そして、真剣なまなざしで演劇に興じている。

そんな絵柄を思い描き、日々の糧にしている。

失態や失敗を恐れて一歩踏み出すことに尻込みをしていた彼らが、仲間との信頼の絆に結ばれて、いままでだったら何よりも避けなければならなかった事に挑戦している。

競争と評価にさらされて身を縮こませていた彼らが、朝まだき浜辺の波音に染み透るような沈黙の声を聴き、農作業を勤しみながら土の臭いに無限の虚空を感じて、いま生きていることの重さを実感する。

「ねばならないやしてはいけない」の強制や禁制で金縛りにあってプレッシャーで押し潰れそうだった彼らが、演劇という「遊び」から育まれた芸術的感性に生き生きと演技を楽しみ、自己を表現している。

生き方の底が抜けていた僕だからこそ、僕は若者を育てる。
 
彼らのなかへおのれを投げ出し、そのすべてを与えたい
 
僕自身、自分の弱さを痛いほど知っている。わずかばかりの努力の結果が出る間もなく夢は破れ、欲望だけが先走って期待すればするほど欲しいものは遠ざかっていく。滑らかに思えた疾走も肝心なところで躓く、偽りの成功であった事を何度も経験した。

決して反面教師になろうとしているわけではない。「私のようにはなるな!」と怠惰な自分を引き合いに、安全なところからものを言う反面教師ほど楽なものはないからである。

そうではなく、僕は「彼らのなかへおのれを投げ出し、そのすべてを与えたい」と思う。

自信がないからこそ、そうするのであって、彼らと同じ立ち位置から、ひとつの賭けに出ようとしているのである。自分をさらけ出し、すべてを余すところなく、その前に差し出すことで、彼らのスプリングボードになって、彼らの自己変容という跳躍の契機になりたいのだ。

参考記事:
→和歌山毒入りカレー問題から生き方を考える「若いうちに承知しておかなければいけないこと」
→理性だけでは悲劇が起こる「固い頭から自由になって、感覚を解放しよう」
→人生の根本問題を考える「人生の『ツケ』を生きる力に変える」
→誰も超一流になるために「10,000時間熱中するためには?」

 
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