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「自己変容」こそ命の原理である
2015/3/23 塾長ブログより
 
「才能」というマインドコントロール
 
数年前、「もってる」という言葉が流行った。

現在プロ野球の日本ハムに在籍している斉藤投手、かつて甲子園で優勝してハンカチ王子として人気を博した、あの斉藤祐樹が言った言葉である。大学4年生の秋のリーグの最終戦で好投し早稲田優勝の立役者になったときの言葉だった。

キッカケは、記者会見での次の件である。

「何か持っていると言われ続けてきました。今日何を持っているのか確信しました」

斉藤投手は決して自分が何か持っていることを肯定していったわけではなく、確信したのは、信頼できる仲間のことだとその直後に続けている。プロに入ってからのインタヴューでも、「自分の成果は積み重ねの結果、最初から持っているなどとは思っていない」と答えている。

しかし、その後「もってる」という言葉が独り歩きして、事をうまく成し遂げたり、成功した人のことを指して「あの人はもってる」というように使われ出した。この「もってる」という言葉の使われ方を聞くにつけ、私たちの意識の中に刷り込まれている先入見の影響を考えずにはいられない。

その先入見は、「才能」という言葉にも象徴されている。

「あの人は持って生まれた才能に恵まれている」とか、「生まれつき具わっているものを才能というのだ」とかいう言い方によくあらわれている。

ある意味、マインドコントロールである。

小さい頃から「才能神話」を聞かされ続けてきた結果、ほとんどの人は自分が「なにも持たないでこの世にやってきた」側だと信じ込まされてきたのではないだろうか。
 
「才能」は自ら開発するものだ!
 
自覚のないままに刷り込まれたのだからやむを得ないことだとしても、成功した人を評して「生まれながらの持ち物=才能の結果」だと安易に言ってのける心理は、怠け者のそれでしかない。

手厳しい言い方になったが、大人になって経験を積み視野も広がり真実を見る目が備わっているのにもかかわらず、マインドコントロールに気づかず、「神話」であることを解明しようともしないのは怠惰であろう。

むろん、そうである。

僕の教育観からすれば、それだけではおさまらない。さらに手厳しく追い打ちをかけてしまう。

生まれる前の結果に事寄せる態度こそ怠惰の最たるものだと。

なぜなら、かけがえのない人生に対して責任を持つことを自ら放棄しているからである。
 
「生きている」のではなく、「生きていく」人生は、自らを切り開く!
 
ついでに言えば、人生を楽してその美味しいところばかりをつまみ食いする、この怠惰の心理は、運命を呪ったり、スピリチュアルな言説を盲信したりする方向へ導いていくからである。

もちろんのこと、運命とかスピリチャル性を否定するつもりはない。科学で証明できないことがあり得ないといっているわけではない。科学は日々進歩しているわけだから、万能でも完全でもない。科学で解明できないところに真実が宿ることもあるだろう。

真偽の議論ではなく、是非の議論である。

私たちは目に見える現実を日々生きていかなければならない。決して「生きている」のではない。「生きていく」のである。そうであれば、少なくとも、人生に立ち向かい、自らを切り開いていくことに生きることの値打ちがある。
 
自らの手で才能を開く可能性をゲノムが証明
 
「いのち」は生まれながらに決められているものではない。日夜営々と「いのち」をつくりながら生きていく、それが人の生のあり方である。そうでなければ、人類の進歩はあり得なかっただろう。個人の成長もあり得ないだろう。

ゲノムを研究する生物学者の中村桂子氏は「いのち」が自らをつくりながら生きていく生のあり方を次のように説明している。

…生命現象の中で発生を主に遺伝を従に置く私の考え方と重なる。また情報プログラムによる設計という考え方への異論は生物学とは相容れないように聞こえるが、必ずしもそうではない。たしかに生物学者は情報プログラムという言葉を使う(私も使ってきた)。発生には、種によって必ず守られている順序があり、それらが行われる時間もほぼ決まっているところからもプログラムというのが適当だと思うからである。このときのプログラムは、音楽会や演劇などのプログラムと同じである。いつ頃、誰が登場して何をするか、プログラムにはきちんと書かれている。しかし、舞台に登場した役者は、全体のプログラムの中の何時何分のところで台詞を言うなどと考えていない。隣の人が今何をしているか、何を話したかを見たり聞いたりしながら行動していくのだ。それは上演の度に微妙に違っているだろう。生命体を作り出す時もまさにこれと同じだろう(「自己を創出する生命」)

私たちの人生は生まれながらに寸分違わず決められているわけではない。「持って生まれてきたものを、自ら変えながら、それを才能として開花させる」可能性の扉は誰にでも平等に開かれているのである。
 
参考記事:才能を開花させるための教育論
「本当の『好き』を見つける!」
「変わりたいのに変われないのは、なぜ?」
「滅びの力を利して生きること、それが自然の摂理である」
「復学・復帰に向けた才能開花法」
「10,000時間熱中するためには?」

 
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