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大学休学生、不登校生が復学・復帰の女神に好かれるには?

同郷に将棋界の異才・変人として有名な「米長邦雄」がいます。平成12年に亡くなりました。「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった」という言葉は有名ですが、今回は、みなさんの人生に役立つ彼の勝負哲学を紹介したいと思います。

長年厳しい勝負の世界に生きてきた経験から会得した彼ならではの哲学です。それは何でしょうか。もったいぶらずに言いますね。

勝利の女神に好かれる簡単なコツです。

今日はこの勝利の女神に好かる生き方の極意を考えてみましょう。大学休学生、大学不登校の皆さんなら、勝利を復学・復帰に置き換えてもいただいても何ら問題ありません。なんなら「女運」と置き換えてもかまいませんよ。(笑)

彼が言うには、女神の判断基準は次の二つだそうです。

一つは、謙虚でなければならない。

いかなる場面でも「自分が絶対に正しい」と思ってはいけないそうです。
たとえ相手に非があっても、自分を顧みる心がなければいけません。どんなに自信があっても、自分が絶対正しいと思い込んではいけないというのです。これはたやすくできることではありませんよ。

たとえば、生徒が悪いことをしたときに、普通の教師なら「私がこの生徒を正しく指導して自分の過ちを反省させよう」と思いますよね。これが駄目だというのです。教師としては至極当たり前の気持ちですが、女神の不興を買うそうです。いやはや、手厳しい!

おそらく女神は教師のおごりと見るのでしょう。おごりや思い上りに対して、女神様は容赦しません。

そのくらいの抜け目のない謙虚さがなければ、勝負の世界で生きていけないのでしょう。真剣勝負では、ちょっとしたおごりが命取りになってしまうのです。

二つ目は、笑いがなければならない。

これも実践するとなると、なかなか難しいですね。

どんなにまじめに努力し、どんなにきちんと生活していても、その中に笑いがなければ、事はうまく成就しないというのです。

真剣になるなと言っているのではないのでしょう。そうではなく、「真剣になるのはいいが、心にゆとりを持て」と説いているのでしょうね。

同じ笑いでも、ジョークは、ときに人を傷つける場合があります。しかし、ユーモアには、その場を和ませるような、あたたかい笑いがあります。

要するに女神が好む笑いとは、謙虚さと相通じる、自分を顧みる笑いだと思います。どんなに真剣にならけらばならい時にも、ちょっと立ち止まって心にスキマを開け、自分の至らないところを笑い飛ばしてみる、そんな余裕が必要だと説いているのです。

人生の高みから自分を眺めてみると、意外に笑えるものですよ。それも親が子供を見るような視線で自分のことを見てみたらどうでしょう。

ヘマしてドジして転んであちこちぶつかりながらも、「よくやってるわい、あっははは!」って具合に、あたたかい笑いがこみあげてきますよ。

復学・復帰を目指す大学休学、不登校の方へ

愚放塾命名の由来は、次の親鸞の言葉にあります。

「つねに愚かに生きることができないほど人間は愚かである」

愚かさの自覚は世阿弥の「初心忘るべからず」にも通じます。俗説は「物事をはじめた頃の気持ちや志を忘れるな」ですが、本来の意味は、そうではなく「はじめたころの未熟さを忘れるな」ということです。

世阿弥が弟子に「慢心や傲りに対する戒め」を説いた言葉なのです。

未熟さの自覚は愚かさの自覚です。そして、愚かさの自覚のあるところには謙虚さはもちろん、笑いがあります。

道化は愚かさを武器に笑いを提供します。その笑いのなかに人間の弱さ、愚かさが、すなわち真実が込められています。

みなさんはどう思われますか?

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「デタラメに強い人間がこれから生き残る」
「生きているのではなく、生きていくことを学ぶ、それが愚放塾の演劇ワークショップ」
「大学休学、不登校生の復学・復帰に向けた才能開花法」
「生き方に迷っているあなたへ」