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教師の皆さん、些細なことを大切に!
2015/2/1 塾長ブログより
 
原因は別のところにある
 
事がうまく運ばないとき、反省的に日常の行いを見て取り改めたところで、必ずしも事態がうまく解かれないことがある。以前うまく行っていたからということで、元に戻すような方策を講じても有効に働かないことに遭遇することがある。そうした場面に出くわすと、焦るばかりでかえって事態を悪化させてしまったりもする。

おそらくは原因が、目に見えるところにあるのではなく、生じた問題から遠くのところにある、もしくは目に見えないその背後の状況にあることが多く、初期対応を誤ってしまうからだろう。変化の激しい時代にあっては、日常の些細な出来事においても、こういうところまで思い至らなければならない。よく言われることである。

もっとも事態が自分でも気づかないうちに変わってしまって、以前簡単に運んだことがどうしてもうまくいかない、そういうことは、誰もが一度は経験していることではないだろうか。
 
心に大きな傷を残した学級崩壊の経験
 
30歳になったばかりのころである。田舎の中学校に赴任してで中学校1年のクラス担任になった。教員になって7年目のことだった。元気で明るいクラスで僕も若さに任せてやる気満々、生徒から人気のある先生としてふるまっていた。その只中で生じた出来事、若気の至りというには、その憾みを補って余りある、痛すぎる、傷心体験である。

若い教師にありがちな驕りや油断を狙い澄ましたように、巧妙にその出来事は生じた。狐につままれたように何が何だかわからないままに、急にクラス運営がギクシャクし出したのである。まだ赴任して2か月も経たないうちの事だった。

女生徒の態度がおかしい。いままでのように、休み時間などで僕の周りをキャーキャーはしゃいで取り囲むことが全くなくなった。しかも、急に…
 
それだけで済めばよかったが…
 
態度が急によそよそしくなり、HRでも授業でも、女子はしんと静まり返っている。男子は手を挙げて発言するものの、女子の発言は目に見えて減った。指名しても返事すらしない生徒も多くなり、いきおい男子の発言も少なくなった。授業は水を打ったように静かで、いやがうえにも不穏な雰囲気で包まれて、僕はやりにくくて仕方なかった。

が、何が原因でそうなったのか、当時の僕にはさっぱり見当がつかなかった。もちろんいろいろ心当たりを探った。女子を何人にも呼んで話を聞いても口を開いてくれない。あれやこれやと反省しては、言葉遣いや指導法を改めたりした。しかし、全く効果がなかった。

女子は日ごとに反発を深めていった。僕を無視し、一切言うことをを聞かなくなった。それだけならまだいい。僕とすれ違うと、逃げるように脇により、ひそひそと聞こえよがしに僕の悪口を言う。
 
あまりに大きな一撃を食らった!
 
1学期末に行われる合唱大会のときのことだった。僕のクラスが壇上に上がった。僕は、体育館の出口の方で身をひそめて観ていた。案の定、予想は的中した。ピアノの前奏が終わっても、歌声が聞こえてこない。わずか男子だけがぼそぼそを歌っている。女子は真一文字に口を閉じている。女子が結託してして僕に恥をかかせようと仕組んだ結果だった。

会場からは、失笑ともとれるようなざわめきが起こっている。ほかの先生たちが僕を探しているのが見える。僕は耐え切れず体育館から出てしまった。

幸い数日して夏季休業に入ったので、なんとか持ち堪えれたが、ひょっとしたらそのまま学校に行けなくなっていたかもしれない。
 
女子の嫌がらせは1年間続いた
 
何かの用事で、僕のクラスの前を通りかかったとことがあった。前方の僕の教室から大きな笑い声が聞こえてきた。おずおずクラスをのぞいてみると、あの女子たちが、英語の先生の冗談に対して、心底楽しげに笑い、冗談を返して、クラス全体がどっと笑いの渦に包まれていた。

僕は足早に通り過ぎると、しばらくショックから立ち直れなかった。

表向きは何事もないかように僕の勤務は続いたが、僕自身もう限界だった。学校に行くのが億劫なのを通り越して、しばしば年休をとって休んだりしていた。その頃には、ぼんやりであったが、いや、はっきりと、原因が何であるか、分かっていたが、しかしながら、時すでに遅く、修復は不可能と思えるところまで感情的にこじれてしまっていたのだ。

女子の間では僕に対する嫌がらせはますますエスカレートしていった。当てつけがましい行為は日常茶飯。僕は教師としての自信を根こそぎにされたばかりか、生きている空もなく、若い未熟な心は木っ端みじんに砕かれた。
 
原因は、僕からしてみればほんの些細なことだった
 
後になってこの一連の出来事を振り返ってみた時、真の原因は、こうした表向きのことではなく、僕の心も含めて背後の目に見えないところにあったのだ。

事の起こりは、ほんの些細な、ある女子生徒への注意の仕方にあった。当時の若い僕には、そのことが重大な結果をもたらすとは夢にも思わなかった。当初は、些細なことだと高をくくっていたのだ。しかし、僕の無神経な注意の仕方が、女子の間で潜行して雪だるま式に大きくなっていったのだ。僕からしてみれば明らかな原因とは思われないような些細なことが、思春期の女子の微妙で繊細な感情と絡まり、複雑な集団心理を生み出したのである。

そのことに早く気づかなかったばかりに、僕はほとんど丸1年、針のむしろの上で耐えるより仕方がなかった。事が解決するのは、次年度のクラス替えによって、生徒が入れ替わるのを待つほかに手の打ちようがなかったのである。

僕になにより必要だったのは、ちっぽけな自尊心を捨てるだけの余裕を持って生徒と接し、生徒が何でも言える場を作ることだった。そして、生徒の言葉に謙虚に耳を傾け、謝るべきは素直に謝るという、誠実な姿勢だったのだ
 
自己中心的な視点では見えない原因
 
長々と僕の経験をあえて書いたのは、不登校の生徒の対応にも、僕と同じように目先の解決策に奔って子供が抱える状況を読み違え、解決のタイミングを逸した事例が多々あるのではないかと、想い半ばに過ぎるものがあったからである。

とはいえ、不登校の問題は、僕の場合とはまた別の側面を持つ、難しい問題であることにはちがいない。不登校になった当初「よその子は元気に通っているのに、なぜうちの子だけが・・」と親は素朴に感じる。

そもそもの問題があって、その問題がこじれて手の施しようがなくなった結果なら分かる。しかし、そうではないことの方が実際は多いのではないだろうか。

不登校になるような子供は総じて「いい子」である。本人自身は無論のこと、学校で、クラスで、特別な何かがあったわけではないのに、学校に行かれなくなってしまうのだ。

子供に話を聞いても、とんと要領がつかめない。本人は学校へ行きたいという。担任の先生も、「無理しなくていいよ、ひとまずは、保健室登校というのもあるから、そうする?」と優しく聞いて、本人もその提案を承諾したにもかかわらず、次の日になると登校できない。

前と何も変わってないのに、前にできたことができない。親も先生も、本人さえも自分の心に何が生じてこうなったのか分からない。過敏とか、繊細とかいう言葉だけでは理解できない何かが変わってしまったのだ。

目に見えない流れの変化が子供自身の心を飲み込んで、静かに何かが起こっている。どうもそう考えたほうが、よさそうである。
 
当事者の立場に立って、じっくり待つことのできる心のゆとり
 
当事者には気づかないところで事態が変化している、それに気づかないがゆえに対応を誤って、下手すると取り返しのつかないことになってしまう。あれこれ目先の解決策に奔って拙速な手を打つよりも、とりあえずは、じっくり子供を休ませて、傷ついた心が回復するのを待つのが一番の策なのではないだろうか・・・

僕の経験と不登校の問題をつないだ議論を展開してきた。しかし、どうも舌足らずの結論になりそうである。

ただし、これだけは確然として言えることがある。

大事が生じるときであっても、最初は些細なことである、ちょっとした変化である。その兆しを見逃さず、近くだけではなく遠くのほうにも目を向け、考え続けることだ。不器用な仕方であるが、そうすることしかないだろう。

世紀の発見や発明が、他人から見れば些細なことから生まれることを歴史は教えている。こうした発見や発明は努力すれば得られるものではないが、問題に対してひたすら考え続けた者にのみ贈られる恩恵であることにはちがいないだろう。
 
参考記事:愚放塾の「教師論」
「教育は綱渡り、教師は魔術師である」
「生きることは楽しいと言い切るゆとりのある人間が我々の中に何人いるだろう」
「教師-生徒関係とは悪く言うと、権力関係である」

→厳しい昨今の教育現場、教師の生き方を提案します:「教師の課題を解決する、演劇教育コミュニケーション・メソッド」

 
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