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大学休学、不登校生へ、昔は野蛮に遊んだものさ
2015/3/16 塾長ブログより
 
野生性の回帰
 
塾生A君が、農園で枯草を焼いた煙を見て、無性に「薫製」を食べたくなって、燻製器をつくることを思い立った。

あとでそう述懐しているが、まだ続きがある。

山の奥へ向かい、イノシシと対決したいと言い出す。いままで押し殺していた思いが勝手に走り出す。狩猟免許が取りたいといいだしたのも、その直後だったように覚えている。。

僕が冗談に「その欲望は、経験から出てきたものではないよね、きっと前世で活躍したDNAがオンになったんだ」というと、塾生君は、はにかみながら「最近やっと欲ができてきたんです」という。以前は何事にも受け身で、欲を感じるどころではなかったそうだ。

数日後、朝の「ライティング」のあと、塾生君とじっくり話した時、唐突に「殺して食べたい」という。ドキッとして、問い詰めると、狩猟したいというのは、生き物を殺して食べたいという衝動なのだと説明してくれた。

食品として並んでいる肉をスーパーから買ってきて食べるのは納得がいかない。そうではなくて、対決して、自らも危険にさらされながら、撃ち殺した動物を、自らの手でさばいて食べたいのだと、塾生君、真剣なまなざしで語る。

僕は話のききながら、ゴールディングの「蠅の王」を思い出していた。無人島に漂着した少年たちが自分の中に抑圧していた野蛮性に目覚めていく話である。ヴェルヌの「12少年漂流記」と対極をなす物語である。
 
人間には、野蛮性と文明性の両面が併存している
 
僕らの子供のころは野蛮性を存分に発揮したものだ。カエルをコンクリートに打ちつけてのばして日に干す。蛇を捕まえては皮をはいで棒に突き刺す。トンボの羽をむしって歩かせる・・・残酷な仕業は、子供にとって日常茶飯事だった。

ところが、いつの時代だろうか、そんな遊びがピタッと止んだ。「殺したらかわいそうでしょう」と、子供をたしなめるお母さんの出現に、聞き分けの良い子供が育つ。虫も殺せない優しい子供が多くなるにつれて、人間から野蛮性が追放され、次第に無意識の奥へ抑圧されていったのだ。

しかしながら、抑圧された野蛮性は回帰する。最近のニュースで「人を殺してみたい」といって実際殺してしまった女子大生が話題になった。

塾生A君のように「動物を殺して食べたい」というのは真っ当な回帰の仕方だ。早い段階で抑圧したものを回帰させるのが教育の仕事である。一方「人を殺してみたい」というのは、きれいごとの教育だけで育った人間の野蛮性が狂った姿で回帰したのかもしれない。
 
参考記事:
→農園での作業中意外な美しさを発見「なんとまあ、美しくて愛くるしいんだ!」
→生きることの原点を学ぶ「愚放塾の農業教育」
 
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