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「分かち合う」という支援教育
2015/3/16 塾長ブログより
 
親から伝えられる言葉の威力を思い知る
 
人生の早いうちに親から伝えられる言葉には含蓄のあるものが多い。これといって特別な言葉ではない。いたってシンプルであるが、齢を重ねるにつれて胸にずしりと響いてくる。

たとえば、「みんなで分け合う」

「なんだ!、当たり前のことではないか」と思われるかもしれない。しかし、この言葉の中に注意深く隠されている真理に気づくものは意外に少ないのではないだろうか。

たんなる平等精神ではない。欲を戒めることだけでもない。

料理に彩られた食卓を前にこの素朴な言葉を静かに反芻してみる。祈りに近い感情がきっとよぎるはずである。静かな沈黙を支えるだけの力を持った、この言葉の重みを感じるにちがいない。
 
祈りにも似た言葉
 
この世に生れ出たことの不思議さに打たれ、そして、人間だけではない数知れぬ「いのち」のつながりに思いを巡らし、その「いのち」の営みの中から日々の暮らしが立ち上がっているという真実に感謝せずにいられようか。

みんなで分け合うことは、自然の中ではごく当たり前に行われている。特別なことではない。

生存競争というのは限らた見方でしかない。

自然の営みに分け入って注意深く見たならば、「みんなで分け合う」ことは至極当然、秘匿されていることなど何一つないことが分かるだろう。

「みんなで分け合う」、当たり前だからこそ、いつも肝に銘じる必要がある。
 
自然の声なきコエを聴く
 
森羅万象を貫く「当たり前=真理」は忘れがちである。当たり前の言葉にこそ、注意を払う。心して大切にしなければならない。

いくら世の中が進歩してスマートな暮らしが実現しても、真理へ目の向かない、ずぶ野育ちの無明の精神なら、いとも簡単に当たり前の世界をさらってしまう。人間界で有能であっても、この心働きを忘れた人間は、自然界では怠惰と無為のために脂の塊となった鈍感な感性の持ち主でしかないだろう。

深い悲しみほど暗いひそみに隠れているもの。これからの時代は、沈黙する自然の声なきコエを聴き、言葉を超えたコトバを理解し、ひともいきものも分け隔てなくみんなで分け合ってともに生きようとする感性を育てることが教育の重要テーマになっていくだろう。
 
参考記事:
「滅びの力を利して生きること、それが自然の摂理である」
「『いのち』とは波である?!」
「孝行とは、親の心を知ること!」
 
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