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大学休学、不登校生へ、自分を学ぶとはどういうことだろう?
2015/3/7 塾長ブログより
 
2週間ぶりの農園は生き生きしていた
 
2月20日に宮崎大学で「出張ワークショップ」を行った足で東京の自宅に赴き、二週間ぶりに愚放塾に帰ってきた。

小豆島は意外なほど寒い。昨日もフェリーから見える海にはどんよりとした冬空が広がって春まだきの感があったが、今日も朝から冷たい雨が降り続いている。

冷たいとはいえ、この雨、作物にはなによりの恵みであろう、その思いを抱きつつ、いそいそと農園に行ってみる。気のせいかもしれないが、玉ねぎをはじめとして作物の葉先がそれぞれに雨を迎えにいくように伸びている。おしなべて作物の生育はいい。僕が上京している間、A君が畑の世話していてくれたおかげである。

発酵させた野菜くずコンポストや玄米を精米した時の糠を、野菜の育ち具合を見ては、顔色のよくない野菜の根もとに撒き、また土が乾いていると見るや、愚放塾舎の水場から何往復もかけて水やりをしてくれた、塾生君の面倒見があったからである。
 
大きな場とつながる力
 
先般上京した折、「場の理論」の提唱者である清水博先生を訪ねた。

「場とは、普通人間のいる場を示すが、自然を含めた場づくりをしないといけない。自然の言葉に触れること、その言葉を発見していくこと、そういった大きな場とつながる経験が、これからの時代には必要である」と話され、「つながる力を養う」ことの大切さを説かれた。

もとより、愚放塾の教育は清水先生の理論を参考に編み出されたものである。根本理念である「つなぎなおし」も「場の理論」をもとに「場とつながる力を養う」ことを念頭においての言葉である。
 
「つながる力を養う」こと、それは「自分を学ぶ」ことのプロセスである
 
「自分を学ぶ」とは、まずはやりたいことをやってみること。まろびころびつ自転車の乗り方を習うように、試行錯誤を繰り返して、そうして自分が本当にやりたいことを見つけることにある。

しかし、それだけではない。やりたいことが見つかったからといってそれで終わりではない。やりたいことを実現するまでは、「自分を学ぶこと」は続くのである。
 
「やりたいこと」とは、嫌いなことも含めて好きになることである
 
なぜなら、やりたいことを実現するためには、ときには苦手なことを学ばなければならないからである。もっと言えば、嫌いな人の力をも借りなければならない。苦手なことを学び、嫌いな人とも付き合い、そうした「つながる力」を養わずして、自己実現はないのである。

つまり、「自分を学ぶ」とは、心の内奥にまで赴いて自分のやりたいことにつながり、それを実現させるために、さらなるつながりを求めていく。その「つながる力」を鍛えることなのだ。
 
参考記事:
「つながる力」=「つなぎなおし」について、
「塾長インタビュー:『つなぎなおし』の具体例はありますか?」(Q16)
自分を学ぶことについて
「塾長インタビュー:何を学べるところなのですか?」(Q3)
生きものに触れ、生きものに感動する!
「なんとまあ、美しくて愛くるしいんだ!」
 
 

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