古典を読むとは?
2015/1/20 塾長ブログより
 
普遍的な知識の宝庫
 
哲学とは、知識を学ぶことではなく、世界のあり方を解き明かし、その世界でいかに生きることが善いことであるかを問う学問である。

古典と呼ばれるものには、時代の風雪に耐えた先哲の生き方の知恵が綴られている。その言葉をじっくり味わいながら、世間のモノサシを吟味し、自分の納得する生き方を探っていく。

古典を読むことは、演劇、農業と並んで愚放塾の柱にしようと考えている。

とはいえ、いきなり古典を読むことはしない。手始めは入門書や啓蒙書でいい。

活字を読んで考えることが大切だからである。
 
情報洪水の堤防
 
江戸時代の町人の一生分に当たる情報が一日で得られるのが現代である。情報の洪水の中に飲み込まれ、あたかも溺れまいとするあまりに呼吸を止めるように、ややもすれば思考停止の状態になりかねない。

未曽有の情報洪水の中で溺れずに生き残るには、情報を読み解き、取捨選択する術を身に着けなければ無理だ。つねに考え続けていなければ巧みな情報操作の中で目晦ましにあって、決して良質の情報は得られない。

それだけでも足りない。

だからこそ古典を読む意味がある。

現代という時代を生き抜くには、時流に流されない普遍的な言葉と出会い、その言葉に触れて、考え、自らが情報となるよりほかにないだろう。

塾生と毎日読書を通して議論し、定期的に読書会を開く。読書会は開かれたものにしようとも思っている。
 
参考記事:
「哲学書を読むとは?」
 
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