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考え始めると、いつもそこに行き着いてしまうことがある
2014/12/8 塾長ブログより
 
教えることの難しさ
 
考え始めると、いつもそこに行きついてしまうことがある。「教える」ということである。

僕自身、「教える」ことのプロとして長い間、それを生業としてきた。「教える」ことの難しさを身をもって体験してきた。軽はずみなことを言うつもりはない。
いささか奇をてらった言い方になるが、大真面目である。

あえて言うと、

「教えることは教えないこと」でないかと・・・考えて、いつも行き着くのはそこである。

もちろん言葉を弄して思考に溺れているはずもなく、教えることの下手で悪戦苦闘していた教師が、言い訳のかわりに、いつのまにか抱えてしまっていた後味の悪いの疑問なのだ。そんな経緯があってのことである。
 
自分の学生時代を振り返って
 

僕の学生時代を振り返っても、ことさらにいうわけではないが、僕は教えてもらった記憶がない。

有体に言って、授業の内容がさっぱり分からない生徒だった。教師の話をじっとして聞いていられない生徒で、いまでなら、おそらく発達障害と言われてもおかしくないだろう。まったく落ち着きのない子供だった。

だが、勉強はできた。しかし、決して勉強が好きだったわけではない。

親のエゴで近所の幼馴染みと熾烈な競争を強いられ、マザコンの僕は母親の顔色をうかがい、いい成績を収めざるを得なかった。そんな事情があったから、授業ではさっぱりわからない内容を、テスト前になると教科書と参考をひもといて、いちから勉強し直した。

学校に通いながら、小さい頃から僕は、独学で勉強した。

僕にとって、授業は苦痛以外なにものでもなく、学校の授業に価値を感じたことは、高校を卒業するまでなかった。

大学浪人した時も、東京の予備校へ行く友達を尻目に、僕は当然のごとく「宅浪」した。

たとえ受験のテクニックを伝授してもらえる予備校であろうが、授業を受けることに変わりなかったわけで、授業そのものに全く価値を見いだせない僕にとって、まぶしいほどの進学成績を喧伝する予備校も、猫に小判に等しかったのである。

そのような屈折した教育経験の持ち主が土台、教師になること自体、間違っているのだが、僕は教師になってしまったのである。

親に育てられた経験のない子供がひとの親になったとき苦労するように、僕も教師になって煮え湯を何度か飲まされた。その痛い思い出をいまでも胸に宿している。

 
冒頭に戻ろう!
 
「教える」こととは、なんぞ? 

それは「教えないこと」なのではないか?

僕の教師生活の集大成はその問いであったのはまちがいない。そして、その答え、すなわち、教師を辞めた当時は、まだ確信の持てなかった、その答えにはちがいなかった。

僕が愚放塾を創ったのも、答えのなかなか出ない、その問いを問い続けたいからでもある。そして、いま、ようやくその問いの答えがおぼろげながら、姿を現しつつある。
 
参考記事:
→弱者を守る教育「『理性的に」という言葉の被害者はいつも弱者である」
→ダメ教師奮闘記塾長インタビュー「先生をしていた時に、なにか思い出があったら教えて下さい。」(Q11)
→些細なことを軽視して学級崩壊を経験:「教師の皆さん、些細なことを大切に!」はこちら
→閉塞した教育を打破しよう:「教師-生徒関係とは、悪くいうと権力関係である」はこちら
→人前恐怖症の僕が教師になった訳:「僕が教師になったやむにやまれぬ事情」はこちら
→弱者を守る教育「塾長インタビュー:何を学べるところなのですか?」(Q3)
→支援高校で得た貴重な学び聞く、待つ、引き出す(1)

→厳しい昨今の教育現場、教師の生き方を提案します:「教師の課題を解決する、演劇教育コミュニケーション・メソッド」
 

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