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固い頭から自由になって、感覚を解放しよう
2014/8/17 塾長ブログより
 
感覚を軽視する
 
たとえば缶入りコーヒーを飲んだとして、ちょっと変な味だと感じたとしても、普通の人なら、毒が入っているはずがない、そもそも缶で密閉してあるという思い込みによって、口に含んだコーヒーを吐き出す人はほとんどいないだろう。

味覚の異変に素直に反応し、すぐに吐き出した人は助かった。吐き出さずに飲み込んだ人は死んだ。

15.6年前の毒入り缶コーヒー事件。

同じころに、和歌山毒入りカレー事件もあった。

そのときも「このカレー。変な味だ」とその場で吐き出した人がいた。その人は助かった。しかし、普通の人は、少しばかり変な味がしても毒が入っているなんて考えも及ばない。それよりも吐き出したりしたらせっかく作ってくれたにわるいという思いが先だって、我慢して食べる。そしてヒ素中毒にかかり、何人かは亡くなった。そして、他でもない、カレーを作ってくれた人が犯人だった、

いずれも、先入観や道徳観が頭に刷り込まれ、自らの感覚を否定した結果、起こった。
 
情報を信頼した悲劇
 
先の東北大震災の時も、津波安全圏に住んでいた人たちの方が、危険区域に指定された人たちよりも、多く亡くなったという報告がなされている。

4月の韓国セウォル号沈没事件のニュースを見ても、船が異常に傾いて沈んでいるのを体感しても、船内放送を信じて部屋に待機していた人たちが亡くなった。これも、感覚を無視して指示情報は正しいと頭で判断した結果がもたらした不幸である。

感覚的なものはあやふやなものである、正しい判断は頭の役割である。それが現代の常識、すくなくとも近代の人間観である。
 
カントの自由意志が元凶?
 
カントは自由意志を考え出し責任とセットにすることで人間を文字通り自由な存在にした。カントの自由は、感覚を自然的傾向に従属するものとして否定するものである。

「猫は好きな時に寝て好きなだけ時間を持て余し自由でいいなあ」とため息つく学校嫌いの少女の言葉に対して、カントだったらおそらくこういうに違いない。

「あなたの方がよっぽど自由だよ。猫はおなかがすいた時、目の前にサンマがあれば我慢できないで、サンマに食らいつくだろう。しかし、あなたは、いくらおなかがすいても、食事の配膳が済んで「いただきます」を言わないかぎり、目の前の食事に手をつけないでしょう。あなたには、おなかがすいたという感覚に打ち勝って、食べないという自由を得る能力があるのです。学校に行きたくないという気持ちに負けないで、人間だけに与えられた自由を行使するためにも、あなたは学校へ行かなければならないのです」

自然の傾向性を自由意志によって乗り越えた人間は、かつて神が鎮座していた玉座に座り、近代の科学文明の発展を一気に推し進めた。

しかしながら、人間の理性は、資本主義という欲望の手先となって、開発の名のもと自然を破壊し、地球の生態系を狂わしてしまった。その結果は、いま地球から手痛いしっぺ返しにあって、自然災害が世界各国で巻き起こっている。

私たちは体の自然を顧みずひたすら増殖する癌細胞のようになっていけない。地球という身体を食べ尽くしいずれ自壊していく愚かな道を選んではならない。

そのためには、もっと広い世界観を持つこと、強いて言えば、宇宙観を持つことである。
 
超感覚的な思考から生まれる人間観
 
アメリカの理論物理学者リサ・ランドールは3次元だけでは捉えられない別空間の存在を想定している。3元空間は宇宙から見れば、ほんの小さな窪みにすぎないという。宇宙は高次元の集合体である。

目の前の世界がすべてではない。

旧い考え方に凝り固まった理性を乗り越え、通俗的な善悪の彼岸に達し、理性と感覚が手を携えあって、新たな人間観を創らなければならない、そんなときに、いま、来ている。

まずは、理性と感覚の階級の垣根を取り払わなければならないだろう。
 
参考記事:
「行為の中でその都度生成する感覚主体を磨こう!」
「身体(=身)とは、場を含んだ生命活動である」
「創造の「プロセス」は、自己変容の経験?」
 
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