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大学休学生は復学を目指す以前に何を極める?
2014/8/9 塾長ブログより
 
自分を極めることは難問である
 
人生を快走している人は、自分に降りかかってくる諸問題を要領よくさばけるかもしれない。知識が豊富であるのはもちろん、計算力、判断力が備わっていて、機転も効く。対応が速い。頭の回転がいいのだろう。

おのずから地位も上がるし、給料も高いだろう。いい人生にはちがいない。エグゼクティブの彼(女)らは、社会的要求の一般能力を極めて駆け上がった人たちである。現在社会の状況に頭脳を最適化している。そのことに異論はない。

しかし、異論がないからといって、それを目指すわけではない。

愚放塾の育成する人材は、自分を極める人だ。

もちろん、本当の自分などどこにもない、自分のなかを隅から隅まで捜したところで本当の自分などお目に掛かれないだろう。しかし、本当の自分を極めることはできる。なるほど、矛盾している!
 
難問を解き明かす
 
どういうことか?説明しよう。

ここで架空の野球少年に登場してもらおう。おそらくこんな野球少年はいないと思うが、説明するには適任だからあえて登場してもらう。

ごく普通の野球少年が憧れのイチロー選手にあった時、映像の中のイチローでもなく、フィギアのイチローでもない、「あのイチローがここにいる」と感激するだろう。

しかし、この架空の野球少年は、「本当のイチローだろうか?」と感じる。。

無邪気な野球少年は、感激して「うそっ!信じられない!」を連発するにちがいない。しかし、この野球少年はそのようなことは言わない。夢ではないだろうかとほっぺをつねるようなまねなど決してしない。

彼は、年の割にませているのだ。自分の冷めた気持ちを丹念に探り始めた。「本物のイチローさんが目の前にいるのに、この違和感はなんだろう?}

野球少年は、右手で右肩に触れてからバットを前に出して構えるとしなるようなフォームで鋭い打球を飛ばし、一塁に駆け込んで隙あらば二塁を伺い、判断よく飛び出して盗塁を決め、フェンス際でジャンプしてホームランボールをつかむと、何事もなかったように澄ました顔してボールを外野席に放り投げるイチローの姿を思い浮かべていた。

「目の前の男の人は、姿かたち、声、話し方、全てにおいてまぎれもなくイチローさんだ。でも、何かがか違うのだ!」

彼はイチローと会った瞬間に、「違う!」と思ったに違いない。本物のイチローには間違いないが本当のイチローではないと。

いま目の前にいるイチローは本当のイチローのある断片、いや、断片でもなく、現実のイチローにすぎない。

たしかに本当のイチローは、現実のイチロー失くして存在しない。しかし、イチロー以上にイチローなのが、野球少年の中にいる本当のイチローなのだ。

彼は、現実のイチローを自分のなかのイチローを見比べて判断しているのではない。自分のなかのイチローを参照しているのではない。

野に咲く花を見て、これは蓮華草、これは白爪草と名を呼ぶとき、いちいち記憶の中の植物図鑑を参照しているだろうか。それと同じである。少し違うが似ている。

野球少年はイチローが好きで好きでたまらないがゆえに、現実から遊離して自分だけの「本当のイチロー」回路がつくられたのである。

握手を終えて、イチローが颯爽と立ち去って、背広の裾が翻った瞬間、その野球少年は、僕が会いたかったのは、このイチローだったんだ!と思わず心の声を上げた。背広の裾がめくれた瞬間、脳のある回路がフル稼働した。「本当のイチロー」という認識システムが稼働し、現実のイチローにヒットしたのだ。
 
簡単にまとめよう
 
野球少年の中の本当のイチローは、心に宿る参照イメージではなく、視覚刺激に特定のシナプスが発火した時だけに姿を現す。花を見て湧き上がってくる名前と基本的には同じ事が、少年の心に生じたのである。つまり、野球少年の心に宿る「本当のイチロー」とは、脳の作用なのである。

本当の自分についても同じである。

本当の自分など自分のなかを隅々まで捜しても、見つかるわけがない。それはイメージではないからである。作用だからである。

本当の自分も、人間だけに与えられた高機能認識作用なのである。つまり、本当の自分は、いままで生きてきた自分にまつわる経験の集積が脳内で『確かな自分、本当の自分」として、高機能化した回路になっているはずである。

何度も繰り返すが、それはイメージではない。あくまで作用としてである。しかし、本当の自分は自分のなかにいる。

愚放塾では この本当の自分を極めることを教育目標にしている。

本当の自分を見つけるには、自分にとって好きなこと、その好きなことは何度繰り返しても永遠に飽きることない、その好きなことを見つけること、それが本当の自分を極めることにつながる。

そうしていくうちに「好きという感情」はいつのまにか「好い感覚」なっていく。

学校の教室で先生が生徒を前に言うように「良いことだからやりなさい」というのではない。逆である。本当にやりたいことなら、それは好いことなのである。

やむにやまれず、何度でも飽くことなく欲するもの、そのたびに尽きせぬ喜びが湧き上がってくる、それが本当の自分にとってよい事なのである。

架空の野球少年にとって本当のイチローとは、テレビなどの場面場面の躍動する好きな好いイチローの集積である。彼の記憶の中で好いイチローの視覚情報が溶け合って、本当のイチローという人物像を創り上げているのだ。
 
参考記事:
「『ありのままの自分』はいない!」
「『ありのままの自分』を磨く」
「ありのままの自分論(1)」
 
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