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デヴィッド・ルヴォーの思い出(2)
2014/5/23 塾長ブログより
 
デヴィッド・ルヴォーとベニサンピット
 
デヴィッド・ルヴォー、1957生のイギリス人演出家。93年にtptの立ち上げにかかわる。
tptとは、TheaterProjectTokyoの略。デヴィッド・ルヴォーを中心に据え、洋の東西を問わず現代演劇を実験的に上演した劇団のこと。ベニサンピットを本拠地として90年代の日本の演劇界をリードした。
ベニサンピットとは、都営地下鉄森下駅からほど近くの隅田川沿いの工場連棟を再利用してつくられた小劇場。染色工場「紅三」があったところから、その名がついた。

tptとはこのワークショップが縁で、翌年から2年間、ほぼ100日間にわたるワークショップを受講することになった。

「若手演出家のためのワークショップ」は、tpt主催で1999年6月末日から7月上旬にわたって7日間、1日5時間、みっちり行われた。
 
いまでこそ話せる「ズル休み」工作
 
劇団を主宰・活動していたが、当時の僕はまだ一介の高校教員。

図らずも書類選考に通ってしまった後、喜びで飛び上がらんとする心を裏に封じ込めて、なんとも悩ましい日々が始まった。もちろんワークショップのことではない。どうやって学校を休むかという悩みだ。教員としてあるまじき行為、つまり「ズル休み」。

繰り返し襲ってくる良心の声を聞きながら苦心さんたんした。

1週間休むには入院とかそれなりの理由をつけなければならない。当時私学は土曜日は休みではない。さすがに風邪で6日、休むわけにはいかない。授業の持ち時間は16時間。1週間休めばそのすべての時間を誰かが自習監督をしなければならない。貴重な空き時間が奪われるのだから、快く受けてくれる教員など誰もいない。さすがに口には出さないが、心の中では舌打ちをしている。

僕は時間割を睨んではあらゆる可能性を探った。

ワークショップの開始が11時ということもあって、午前の34時限と午後56時限に授業が集中している曜日は休むことにする。それ以外の曜日は、親しい教員にお願いして都合の悪い時間を1時限の授業に変えてもらってやりくりする方針を取った。そして、プランを立てた。

授業が後半に詰まっている曜日が続いているときは風邪を引いたことにして連休、1時限の授業がある曜日は登校し授業をし、まだ体の調子が悪いことを理由に早退する。と同時に次の手を打つ。体調が悪く先々のことが心配だからと理由をつけて親しい国語科の教員に頼み込み、予定通りに時間割を動かすことを忘れない。こうしてなんとかやりくりをした。

結果、4日全休と2日早退、そして日曜日の計7日間。我ながらあっぱれの超人技で、ワークショップの全日程を捻出したのだ。
 
教員をやめたのは、このワークショップがきっかけ
 
僕は風邪の体を押して懸命に勤務するふうを装ったが、周囲の目は冷ややかだった。「あいつ、体じゃあなくて、アタマがいかれちゃったんじゃないのか」と教員間ではささやかれていた。後で知った。

たしかにそうだ!

僕は欠勤をやりくりしながら、このワークショップが楽しくて仕方なかった。たしかに、僕は演劇熱に浮かされていた。証拠にその数か月後に誰にも相談することもなく、すっぱと高校教員を辞めてしまったのだから。

演劇で生計を立てることを真剣に考え始めたころだ・・・・そのとき、僕は42歳だった。「なんてまあ、非常識なんだ!」といまさらながらに思う。若手演出家というにはケッコーな歳だった。
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