復学・復帰を目指す大学休学生、不登校生に「演劇の力」で目覚めてほしい。

僕は、演劇によって人生を救われたといっても過言ではありません。その経験から得られた演劇のエッセンスを紹介しようと思います。

それでは、大学休学生、不登校生のための「演劇の力と何か」の講義をはじめましょう。

演劇の精神は肯定である。

舞台には否定がありません。

人間はもとより、ありとあらゆるものの全存在を受け入れ、何でもありの世界です。

どんなことでも行われます。殺人でも駆け落ちでも、時空を超えて変身してしまうこともあり得るのです。俳優は虚構世界の住人として、どんなことでも受け入れ、その役になり切って舞台を生き抜くのです。

劇はイエスで始まります。ノーから始まったら、出来事は起こりようがありません。なぜなら、お互いにノーと言い合っていては、関係の結びようがないからです。

つまり、相手の存在を認め合わなければ、話のはじまりようがないからなんですね。

それから、劇が展開するためには、イエスに加えてアンドが必要です。イエス・アンドですね。

イエス・アンドのつながる力が劇を推し進めます。たとえ、けんかや葛藤があってもイエス・アンドがなければ、劇は前にすすめません。ノーならばそこで物別れに終わってしまいます。

不可能な事態をイエス・アンドでつなげていく、喧嘩し葛藤しながらクライマックスまで持っていく、それが劇づくりです。

相手を活かし、自らも生かす、相手を肯定し、自分も肯定して、ともに前に進んでいく、それが演劇の精神なのです。

現実世界で、「こだわり」や「とらわれ」から、なかなか逃れられずに汲々として生きている私たちです。しかし、肯定が土台となっている演劇の精神は、私たちの窮屈な心を解き放つ大きなパワーがあります。また、その営為の中から柔軟でしたたかな心が立ち上がってきます。

生きる喜びに満ちている。

演劇の世界は喜怒哀楽に満ち溢れていますが、その根底には何でも受け入れる喜びの感情がなければなりません。

悲嘆にくれた王女を演じる俳優は、喜びの感情に促されてこそ、深く大きな悲しみの表現ができるのです。

反対に、全身悲しみに包まれているような演技は見栄えがしません。感動を期待してくる観客の目には、小さい演技と映ってしまうのでしょう。

人の何倍も感じ行動する。

英語では俳優のことをアクターと呼びます。すなわち、行動する人のことです。

舞台という場所は、虚構を見せる場所です。嘘の話を騙るところですね。

セリフは、いわば嘘の言葉です。俳優は、観客の何倍も感じ、観客の何倍も心が動かなければ、観客はそのセリフを信じることができません。俳優が、豊かな感受性を持ち合わせていなければ、観客は俳優の演技をけっして信じることはできないでしょう。

観客はだまされに劇場に足を運ぶのです。現実の生活に疲れた心を癒しに、劇場という非日常の世界の温泉に浸かりに来るのですよね。

丸腰で挑戦する。

観客の気持ちに応えるためには、俳優は観客を楽しませる玩具にならなければなりません。観客の享楽の道具になるためには、自分の殻を破り、丸腰で立ち向かう心構えが必要です。

舞台において、頭の中で考えたことほどつまらないことはありません。

まずは行動して、その中から失敗を繰り返しながら、その失敗の中に真実を見つけるのです。まさに道化の心意気です。

道化精神は、たくましく生き抜くための根本原理です。

他人のために自分をさらすこと、自分が愚かになること、その謙虚さ、未熟さの自覚、そういった挑戦するマインドは、日々自己成長するための原動力なのです。

信頼の関係を築く。

日々の人間関係は気を遣いますよね。他人の思惑に左右され、他人の視線が気になり、疲れ切っている人も多いかと思います。

演技はシンプルです。直接的に相手に働きかけます。

セリフによって相手の行動を促し、相手の言動に応えるように反応します。そうして関係を築いていきます。

また、そこには、つねに相手を引き立てようとする心が働いています。互いに相手を引き立てあいながら、その信頼関係を織り込んでいく、その営みが舞台を作るのです。

倫理を生きる。

たとえば、犯罪に手を染めた役を演じる俳優は、その罪を面白がりながら演技をします。

相方は相手のやりたいことをフォローします。身振りや仕草によって相手の演技を支えます。互いが互いのやりたいことを支え合いながら舞台は作られていくのです。

「よい」ことだからやりなさいというのが道徳ならば、やりたいことを互いに支え合いながら「よい」ところにまで作り上げるのが演技です。演劇の関係性は、お仕着せがましい道徳の関係ではなく、みずからの心を源泉として互いに高め合う倫理の関係なのです。

参考記事:
「演技の力」
「『プリコラージュ』演劇教育法」

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