復学・復帰を目指す大学休学生、不登校生のための「場の作り方」

このシリーズも30回を越えました。ここ数回は演劇について、自身の自己変容体験、思い入れ、演劇観を書いてきました。

大学休学生、不登校生のにみなさんに、これからは演劇の教育的な魅力について、書いていきたいと思います。その初回として、「場の作り方」について述べたいと思います。

場とは何か?

愚放塾の演劇ワークショップで、なによりも大切なのが「場づくり」です。「場づくり」がうまく出来れば、そのワークショップはほぼ8割方、成功したといえるからです。

というのは、よい場ができますと、場の力によって自然に解放が起こり、ひとり一人の個性が開きます。場のエネルギーが活性化して、抑圧がありませんから、心の扉が容易に開きます。参加者から放出される開放のエネルギーは、場に溶け込んで、さらに場をパワーアップさせます。その場の力が、ふたたび個々の心身によい影響を及ぼすといった循環を生むからです。

場とは、大きなエネルギーと個々の小さなエネルギーが互いに交流し、影響を与え合いながら循環するエネルギー・フィールドなのです。

もし場の状態が悪いと、逆の現象が起こります。たとえば、ピリピリとした緊張が場に走っていますと、そこに居合わせた人々は、少なからず緊張状態に置かれます。普段なら笑って済ませることも怒りのエネルギーを呼び込み、その怒りのエネルギーが場に溶け込んで、場の空気がますます硬直するような事態をつくってしまいます。

ちなみに「場の研究」の第一人者、東大名誉教授の清水博氏は、場について次のように述べています。

生きものは(その深層意識を通じて)居場所とつながって主客非分離的に生きているのであり、そのための居場所の状態が変われば、まずその内部(深層意識)に変化が起き、次にその影響を受けて表層の意識が変わります。(「いのちの普遍学」)

場の作り方とは?

場の空気が読めないでいつもおどおどしているとか、みんな集まるところに居心地の悪さを覚える若者が、増えていると聞きます。

たしかに場の空気は、如何ともし難いもの、自分ではどうしようものないものかもしれません。しかし、もし場の空気を自分にとって少しでも居心地よくすることが出来たら、どうでしょう。みんなが集まる場に顔を出しても、それほど嫌な思いをしなくても済むようになりますよね。

それでは、どうすればいいのでしょうか?

端的に申しあげましょう。場に奉仕するのです。心を開いて、「いまここ」にいる場に奉仕するのです。

たとえば、自分にとって居心地の悪い場に居合わせることになって、一刻も早く帰りたいが、そういうわけにもいかず、我慢を強いられているとします。

みなさんならどうしますか?

ひたすら散会になるまで我慢し通しますか?

清水博氏も述べていましたが、場と自分は一体であることをまず認識しましょう。そのうえで、心身の営みが場に反映し、その営為は場を経由して、また自分に返ってくるということを理解しましょう。

場の理解ができたら、あとは実践するだけです。とはいえ、何をしたらよいのか、分かりませんよね。

単純です!

場が、よい方向へ変化するようなことを、ひたすらすることです。地道に場に奉仕するのです。場に奉仕するとは、つまり、たとえ気分が落ち込んでいても気を持ち直し、場のために役立つ行為をすること。

場の空気が深層意識まで影響を与えますが、逆に意識の働きも、場に影響を与えます。何もしなくても、楽しいことを考えているだけでいいのです。ごみが落ちていたら拾うとか、みんなが気持ちがよくなるように、周りを整えることでも構いません。すぐに結果は出ないかもしれません。心構えの基本としては、これでいいのです。

愚放塾の演劇ワークショップにおける、場の作り方の一例を示しましょう。

まず輪になってもらい、笑いを回します。別に気分が沈んでいてもかまいません。とにかく、次から次へと笑いを回していきます。相手の笑いを受け取って、自分なりの笑い方で次の人へバトンタッチするだけです。それだけでいいのです。場がよいエネルギーに満ちてきます。

そうして次は、誰かひとり輪の中に入ってもらいます。輪の中心にいる人に対して、みんなで笑いかけます。今度は、言葉を交えて笑います。輪の中の人がどんな仕草をしても、「面白い!」とか「素晴らしい!」とか、ポジティブな言葉を投げかけがら笑います。笑われている人は、けっして悪い気がしないでしょう。その気持ちも相乗的に働いて、場がよいエネルギーでさらに活性化します。

これ以上言いますと、ネタバレになりますので、このくらいでやめておきますが、「場づくり」とは、意識的に場に働きかけて、場をよいエネルギーで満たすことです。場によいエネルギーが満ち溢れていれば、そのエネルギーはそこにいる人たちに返ってきます。無理に何かしようとしなくても、自然に心が開き、リラックスでき、仕草や行動が生き生きと輝きだします。気持ちいい場に包まれているという感情が、湧き上がってきます。

最後に、ふたたび清水博氏の著書からの引用を紹介しておきます。

Aさんが居場所で生きていくことは、その「Aさんの人生」というタイトルの「〈いのち〉のドラマ」を、居場所という「舞台」において演じていくことに相当します。また同じ居場所に生きているBさん、Cさんも、それぞれ「Bさんの人生」「Cさんの人生」という〈いのち〉のドラマを演じています。そして、居場所に生きていく人びとの〈いのち〉は居場所全体の〈いのち〉と分けることができないために、その人びとが無意識のうちにも協力して居場所における〈いのち〉のドラマを演じていくことになります。(「〈いのち〉の普遍学」)

復学・復帰を目指す大学休学、不登校の方へ

愚放塾には強制がありません。「やらされ感」は場にいい影響を与えません。自発的に行動しないと、場のエネルギーは活性化しないのです。いくら形で場に奉仕しても、「やらされている」という心持ちが場に反映して、むしろ場は負のエネルギーをため込むことになってしまうのです。

朝の掃除にしても、塾生は自発的にします。自分のやりたいところを、たとえ少しでも一生懸命する、その行為が場によい作用を及ぼします。

みんなが忘れているところ、うっかりしていることに気づく、そのような場を支える気持ちが大切です。自分の失敗を誰かが補ってくれたときに、湧き上がる感謝の思いが場をよくしていきます。

場に奉仕し、場から贈与される、場のエネルギーの螺旋的な循環によって、塾生は成長していくのです。

みなさんはどう思われますか?

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参考記事:
「大学休学、不登校のみんな、居場所とは何だと思う?」
「知識の汚れを落とし、納得のいく人生を手に入れよう」
「身体(=身)とは、場を含んだ生命活動である」
「二重生命体としての私たちとは?」
「大学休学、不登校生よ、諸君は『与えられて開くのだ!』」