復学・復帰を目指す大学休学生、不登校生に学んでほしい「演劇コミュニケーション教育」

最近は人と接するのを嫌がったり、付き合い方が苦手だったり、人が集まる場所に行くのを億劫がる若者が、多いと聞きます。僕も若い時分は、人と接するのが苦しいくらい辛かったので、偉そうなことは言えませんが、人と関係が取れなくて「ひきこもる」若者は、約70万人に上るそうです。

たしかに血を分けた家族でも、母親の些細なひと言にいらついたり、父親がそばに居るだけでうっとしく思ったり、同じ兄弟でも気が合わなかったりすることは、多々あることです。まして他人なら、なおさらですね。人付き合いが苦手であっても、なんら不思議ではありません。

しかし、愚放塾の演劇コミュニケーション教育で探求するのは、意識に現れる好悪などの感情ではありません。むしろ、意識に現れないものを探り当てようとします。

なぜなら、その内奥にこそ、人と接することが苦手な若者たちの、その苦手を克服する鍵が潜んでいるからです。

そればかりでありません。その探求は同時に、互いの中に潜んでいる可能性を触発し合い、花開かせるような「コミュケーションの力」を気づかせてくれるはずです。

今回は、愚放塾の「演劇コミュケーション教育とは何か」について述べたいと思います。

二人が最小単位である。

近代の理性的な人間観では、人間は自由意志によって行動すると考えられています。学校教育でも、自分の意志で責任を持った行動をしなさいと教えられてきました。

しかし、はたしてどうでしょう?

今までの人生を振り返ってみましょう。本当に自分独自の意志・判断で行動したことが、どれ程ありますか。周りの空気や誰かの考えに影響されませんでしたか。

人間は誰一人として、独りで生きている人はいません。原始以来、人間は集団で行動し、互いに影響し合って、暮らしてきました。そして、そのつながる力によって、新たな境地を切り開き、文明を築いてきました。

まず考えて欲しいのは、人間はとは何かです。「人の間」と書きますが、人の間で生活するのが人間の営みです。たとえ自分の意志で行動するにせよ、自分のしたことに責任を持つにせよ、そこには他人がいることが、前提になっていることを忘れないでほしいと思います。

対話の芸術と言われる演劇では一人ではなく、二人が最小単位です。ひとり芝居であっても、独り言をいっているわけではありません。相手を想定して対話をしているから、芝居が成り立つのです。

愚放塾の演劇コミュニケーション教育

たとえば、ある人が歩いて来ると、なぜか自分もその人の方へ自然と足が向いてしまうとか、あるいは、ある人が近くに来ると、すっと離れてしまうとか、日常においても、好き嫌い以前に体がつい反応してしまうことがありますよね。

言ってしまえば、体も心も働く前から、体の中では何かが動いているのです。精神と呼んでいいのか、感性と呼んでいいのか分かりませんが、人間の内なる営みには、意識できない動きが少なからず働いています。私たちは、その意識できない動きに時々刻々と影響され、日々の生活は営まれているといっても、過言ではありません。

気分はその代表です。気分の原因を求めても、「これだ!」とはっきりしたものは出てきませんよね。

人間同士が一緒にいると、そういった漠としたものに、左右されることも多々あります。その漠とした意識できない動きによって判断したり、あるいは、不本意な行動を取ってしまうこともあります。

愚放塾の演劇教育においては、この意識化できない動きを重視します。人間という存在を考えるうえで、非常に大切だからです。

演劇とは、たんにストーリーを見せるものではありません。そうではなく、演劇とは、人間という存在の深みを解き明かし、それを見える形にして、舞台を通じて、人間存在の真の姿を提示することなのです。愚放塾では、演劇をそのように考えています。

ですから、愚放塾の人間観は、意志の通りに心が動かないことがあっても、それが人間存在の当然であると考えます。私たちの中で渦巻いている、その見えない動きを認め肯定し、よりよく調和し行動するにはどうすればよいかを探っていくのです。

言葉にできない動きを感じ取り、互いに見えない力と交流し、演技という形にしていくのが、愚放塾の演劇教育におけるコミュニケーションのあり方です。

そのような言葉にできない、つながる力に裏打ちされたコミュケーションの仕方を学んでいくのが、愚放塾の演劇の稽古なのです。

参考記事:
→新しいコミュケーションのとり方とは何か?「新コミュニケーション演劇教育」
→大学休学生、大学不登校生のための「演劇コミュニケーション教育」
→教師のための「演劇教育コミュニケーション・メソッド」
→コミュケーションの成り立ちからひも解く「『コミュケーション』の力!」
→自分のなかで持て余している自分を活かす「『プリコラージュ』演劇教育法」

復学・復帰を目指す大学休学、不登校の方へ

あがり症の人が人前に立って、いくら言葉で大丈夫だと自分にいい聞かせたところで、駄目なものは駄目ですね。「大丈夫、大丈夫」と言えば言うほど、体が硬直して手が動かなくなる、舌が回らなくなる。

しかし、そこに一人あたたかい視線を送ってくれる人がいたとします。それだけで、体が反応します。たとえ緊張がほどけなくても、その視線の力によって、いままで人前でうろたえていた人が、見違えるように立派にふるまえることがあるのです。

その不思議を探究するのが、愚放塾の演劇コミュニケーション教育なのです。

自らの裡にある力がうまく発揮されれば、いままでできなかったことができるようになったり、どうしても変われなかった自分が、いとも簡単に変わってしまうということもあり得ます。

互いの心根を揺さぶり、互いのエネルギーの扉を開くコミュケーションこそが大切なのです。そのコミュケーション力を養うのが、愚放塾の演劇教育なのです。

そういう体験をしたならば、人と接することの苦手意識など根底から吹っ飛ばしてくれるでしょう。

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