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漫画家として行き詰まったときに駆け込みました

木戸佑兒さんが、いよいよ教育と演劇にまつわる集大成となる新事業を立ち上げられると聞き、大変興奮しています!
木戸さんは、演劇における僕の十二神将の最重要なひとりで、今から十数年前(僕が30歳過ぎの頃です)に、大変お世話になりました。当時、僕はやっとこさ短編デビューし、漫画家の仲間入りは出来たものの、その後まったく鳴かず飛ばずで鬱屈し、人生に行き詰っていました。自分では身動きできず、ただ、誰かから働きかけてもらえればそれには何とか乗れるという状態だったのが救いでした。

木戸さんとは、ドストエフスキーの読書会で知り合いました。最初は、文学に精通した批評的な方だという認識しかありませんでしたが、ある日の読書会の打ち上げで、演劇をやるから参加しないかと声をかけられたのです。ハイナー・ミュラーという前衛演劇家のフェスティバルが1年後にあるので、そのためだけにユニットを立ち上げ、参加するというのです。僕は若い頃から演劇というものが苦手で、嫌悪の対象ですらあったのですが、ドストエフスキーやチェーホフなどを読むことで、少しだけ小説や思想書からでは得られない大切な何かがあることを察していました。どうせ漫画も描けなくなっているし、文学研究にも行き詰まりを感じていたので、思い切って飛び込んでみることにしました。

そこには、木戸さんが集めたいろいろな年代のいろいろな職業、立場の方が集まっていました。その方たちと、週に1~2度のペースだったでしょうか。脚本について話し合ったり、木戸さんの不思議な指導の下に、体を動かしたり声を出したり、複数でエチュード的なものをやったりして、半年近く基礎的な訓練をしました。何の訓練かというと、まずは体や心の深い部分を開いていく訓練だったと思います。


「乗れない」気持ちから脱却して、はじめて見えるもの

演劇というのは、並んで発声練習とかをして、セリフを覚えて、脚本家の意図を考えたり、役を研究して上手にそれらしく演じることだと思っていた自分は、根本的なところで衝撃を受けました。そこで、「乗れなかった」仲間もいました。僕にも、その気持ちはわかりました。でも、その「乗れない」気持ちそのものが、自分を内部から縛って、漫画も人生も行き詰らせている正体ではないかと感じ始めました。
(この「乗れない」気持ちは、『鈴木先生外典』最終章で、元2年A組の戸塚に託して表現しています)

木戸さんに身を預けるつもりで、不信感やしらける気持ちと戦いながら、せめて形だけでもと、一生懸命打ち込みました。そうしていくと、時折、ほんの少しですが、今まで見えなかったものや感じられなかったことが、見えたり感じたりする瞬間が訪れはじめました。それはすぐに消えてしまって、もう一度見よう感じようとしてもダメでした。それでもまたしばらく続けていると、前より一歩進んだ形で、再び見えたり感じたりする瞬間が訪れるのです。ここまで来ると、先に進むのが本当に楽しくなってきました。

実は最初、木戸さんは漫画家である僕に、舞台美術をやってほしいからと誘ってきたのです。でもそれは半分嘘で、木戸さんはもともと僕のような素人を舞台に上げること、役者として育てることが目的だったのだと、なんとなくわかってきました。でもそれでいい、こちらも乗っかってみようと思えるようになっていたのです。

半年後、稽古場と池袋の屋外(こちらはゲリラ的に!)で、仮公演を行いました。どちらも手応えのあるものでした。これを、洗練させていくのだろうと思っていたら、木戸さんは全くそれをせず、ゼロからもう一度積み上げ始めました。ここでもユニット内でいろいろな軋轢が生まれました。しかし、ほとんどのメンバーがそれを乗り越え、1年後、仮公演とは全く別物の舞台が完成しました。本公演は、3日ほど、計5公演行われたと思いますが、同じことをしているにもかかわらず、毎回印象が異なりました。その1年は、本当に、漫画を描かず、演劇に打ち込みました。その甲斐があり、僕の内面は大きく変わっていました。

「まだまだ先が見たい!」と演劇に取りつかれた僕は、ユニット解散後も、その中のメンバーや、フェスティバルに参加した別の劇団の方たちと組んで、3年ほど演劇三昧を続けました。木戸さんの主婦の方たちをメインにした所沢での演劇指導にも参加して、そこでも新たに木戸式メソッド(?)のさまざまな刺激を受け、深く、広く、さらに内面の変化を体験しました。


そうして僕は、漫画家へ戻りました

そんなとき、家庭の、というか個人的な事情で、演劇をやめなくてはならなくなりました。その時には木戸さんたちには大変迷惑をおかけしました。僕は、お金になる仕事をしなくてはいけなかったのですが、演劇で稼いでいける能力は到底なく、漫画に戻ることにしました。知人に頼んで、漫画の仕事をいくつか紹介してもらいました。それと同時に、4年ぶりに、自分の作品を描きました。それが「鈴木先生」の第1話です。

それが難なく掲載となり、しかもシリーズ化を求められ、次第に連載となっていきました。
2巻発売の時には、「このマンガがすごい!」などの雑誌でも紹介されるようになり、数年後には文化庁のメディア芸術祭で優秀賞を頂きました。さらにそのあとは、ドラマや映画にもなりました。読んで下さった方はご存じかと思いますが、この漫画は形式的には金八先生などと同じで、中学教師の奮闘記なのですが、演劇的な要素を濃厚に持たせてあります。ですので、舞台演劇をされている方に、大変評判がいいのです。これは、完全に木戸さんの指導で培ったことが基になっています。30歳を超えてから、たった数年間の演劇体験でしたが、若い頃から演劇の世界に身を投じられているプロとしてご活躍の方の心にも触れる作品を描くことができました。これらは、この数年間がいかに僕にとって濃密で有意義だったか。その証明になると思っています。


一緒に生まれ変わりましょう!

僕が「鈴木先生」に打ち込んでいる間に、木戸さんは癌を患わられ、いったん演劇指導の現場から離れてしまわれました。命を取り留めたことは人から聞いてほっとしていたのですが、その後数年間、新事業に向けて動いてこられてきたことは、ここにきて再会してお話を聞くまで全く知りませんでした。先日お会いして、さらに詳しくお話を聞き、僕はすっかり興奮しました。

この新事業「愚放塾」は、これまで何十年間も木戸さんが積み重ねた演劇指導(人間指導)の集大成たるものです。これを当時の僕のような、人生に行き詰っている多くの方にぜひ体験してほしいと思いました。それは、その人のためになるだけでなく、この国だけでなく、世界を救うことにつながると思っています。ですので、サブスタッフとして是非関わりたいと思いました。そして、他ならぬ僕も10年間の漫画家としての活動で、だいぶ疲弊し摩耗しています。また、さらに先に進んでみたい気持ちもあり、是非「参加者」としても体験し、生まれ変わりたい(生まれ直したい)と思っています。
 
是非、みなさんには、ホームページの木戸さんインタビューをまず読んでほしいと思います。けっこう量がありますが、ディティールに大切なことが宿っているので出来れば全部目を通して欲しい!
当時の僕と同様に、「なにかある!」と、ピンとくるところが心のどこかに生まれたら、思い切って身をゆだねてみて下さい。是非、一緒に、腹の底(丹田)からぐるぐると力が湧き上がって、頭のもやもやがすうっと消えていく、体と心の結びついたところで何かが変化していく、そういった現象を体験しましょう!よろしくお願いいたします。
 
塾長 木戸佑兒インタビュー
武富健治氏と4日間の演劇体験ワークショップ


taketomi-icon 武富 健治(たけとみけんじ)1970年、佐賀県生まれ。

「漫画アクション」(双葉社)連載『鈴木先生』で教育問題の盲点を抉りだし、一世を風靡。テレビ東京でドラマ化され映画にもなる。自らを「文芸漫画家」と称し、劇画風のタッチと演劇的な演出で登場人物の克明な心理描写を行う異才の漫画家。2007年『鈴木先生』により文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。2012年「ユリイカ」(青土社)で武富健治特集号(1月号)が出版される。

→参考記事:「休学、不登校等人生の休眠期にある若者に贈る、漫画「鈴木先生」の作家武富健治氏との対話」

→武富健治氏のホームページはこちら「胡蝶社oxna.jp」

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