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「プリコラージュ」演劇教育法
2016/1/17塾長ブログ
 
 
プリコラージュという技法がある。
 
文化人類学者のレヴィ=ストロースが言い出した概念だが、簡単に言うと、それは次のようなことだ。

余った端切れなどを、その本来の用途とは別の使用法で当面、役立つ道具を作ること、つまりは、あり合わせのものをやりくりして、新たなものを製作すること。たしかに素人のやり方だが、人類の太古からのクリエイティブな知恵である。そんな仕事を名付けて、レヴィ=ストロースは「プリコラージュ」といった。
 
現代におけるプリコラージュの効用

 
プリコラージュを現代に応用するためには、満ち足りた道具や材料を新たな目で見直さなければならない。決まり切った使い方から自由にならければならない。

モノがあふれかえっている社会にあって、あえていまあるのはこれだけという不自由な状況をつくり、そのなかで、試行錯誤しながら工夫して新たなものを創らねればならない。なかなか骨の折れる、柔軟な思考が要る。

しかし、そういう作業を繰り返していくうちに、まずは物の見方が変わる。それぞれのものをいままでとは違った用途で使い、思い切って分解し、まったく違った組み合わせを試し、その創意工夫の中で、やがてクリエイティブな能力が養われていくのだ。
 
私たちの生活を振り返ってみよう。
 
たしかに道具を使って便利に生活しているように見える。電子機器をはじめとして、身の回りには便利なものが氾濫している。

ところがどうだろう。私たちは道具から自由になっているのだろうか。

新製品が出ると、マニュアル書を読み、必死で操作の仕方を覚え、試行錯誤を経て、やっと使いこなせるようになる。そして、いつの間にか、PCを前にすると、手が勝手にタイピングし出し、スマホでは手が勝手に画面を滑る。それが習慣となっていく。まるで、道具に調教されているみたいだ。

人間が道具を支配しているようでいて、実は人間は道具の連鎖の一つの鎖としてつながれてしまっている。道具的条件付けがなされていて、ほとんど無自覚のうちに、現代社会の巨大な道具的連関のシステムの中に組み込まれている。
 
プリコラージュの考え方はまったく逆である。
 
プリコラージュとは簡単に言ってしまえば、ガラクタを集めて何かを創り上げることである。その過程で、必然、ガラクタは人間の創意工夫によって、いままでとは違った使われ方で甦る。プリコラージュは、人間を拘束していた道具的連関の鎖を断ち切って、新たな創造の地平を開くのである。

あり合わせの不便な条件のなかで、いまここにあるだけの道具や材料を使<って新たなものを創造する。
その行為こそが、ありきたりの生活を刷新し、普段の生活の中に面白さ、楽しさ、豊かさを滑り込ませるのだ。
 
愚放塾の教育も、まさにプリコラージュ方式である。
 
社会の要求する用途に自分を合わせるために、語学を習い、資格を取り、訓練する。そうではなく、いまある、自分の能力を見直すところから始める。自分のあり合わせの能力に新たな光を当て、新たな使い方を考案して新たな能力を創造するのである。

だから、愚放塾の演劇の授業や演劇ワークショップは、互いに自分をさらし、互いの多面的な自分を肯定し合い、それぞれを試行錯誤しながらつなげあい、新たな自分と出会う。みんなに支えられた、自己のつなぎなおしの作業の中で、自分のなかから革新的な自分が生まれるのだ。
 
参考記事:
→多彩な自己を使いこなす「人間は無人島にひとりでいても演技する、本当か?」
→多面的な自分を受け入れる「大学休学、不登校生の復学・復帰のための多重人格のすすめ」
→無理なく自己変容「愚放塾の演劇教育」
→引っ込み思案の生徒は俳優に塾長インタビュー「人前で演じるなんてとてもできない性格でも大丈夫ですか?」(Q5)
 
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